貞光町はボクの故郷 貞光川を東西に繋ぐ潜水橋
潜水橋は貞光の人間にとっては掛け買いのない橋
潜水橋
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我が町、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)を流れる貞光川には現在2つの左岸の東と右岸の西を結ぶ潜水橋がある。南(上流)にあるのが「八幡橋」、そこから下手数百メートルのところにあるのが「長橋」である。「長橋」は単に「潜水橋」とも呼ばれている。
潜水橋は国の企画で生まれた橋なので日本全国にある。珍しいものではないが、子供の頃はこれこそが橋だ、と思っていた。実際、吉野川にはいくつかの潜水橋が残っている。
貞光町の歴史をみると貞光川を渡るのがいかに重要なことであったかがわってくる。
潜水橋はコンクリートの橋台(川の袂の土台)と橋脚(間の橋を支える土台と脚)があり、橋自体もコンクリートで出来ている。橋の両側には高さ10cm・幅15cmくらいの台形の縁がある。
洪水になると川の水が橋を越えて流れるのだと教わったが、「八幡橋」を川の水が越えているのは何度か見ているが、「長橋」を越えているのは一度しか見ていない。裏に住んでいたアンニャ(お兄さん)の肩に乗って見に行ったので、第二室戸台風かも知れない。
ちなみに「長橋」は平地と平地を結んでいるので、多少川の水が越えても町にはそれほど被害はない。
八幡橋は昔は木の橋だった
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「八幡橋」は小さな潜水橋で、子供の頃は木の橋だった。左岸に八幡神社があるので、この名がある。右岸には町営住宅があってきれいなオネエサンが住んでいた。
ボクにとっては橋の上からのんびり釣りをするところで、橋の下が浅いので大したものは釣れなかった。釣れる魚は非常に希に「えっしゅう(カマツカ)」、「いだ(ウグイ)」の子、「じゃこ(オイカワ)」だった。近所のジイチャンに夜ならウナギが釣れると言われたが、行っていない。
この橋の上流には左岸には孟宗竹の林があり、川岸には葦が生えていた。葦の根元にはたくさんの魚がいて、「いだ」、「じゃこ」はとり放題だった。希にとれるのは「やまとばい(タカハヤ)」だが、見た目が悪いのですぐに逃がしていた。
「じんぞく(カワヨシノボリ)」は小学校に上がると取らなくなる。ただ、ここで一回り大きな「じんぞく」をよく見かけた。2020年に少し上流域でオオヨシノボリをつかまえていることからすると、これは間違いなくオオヨシノボリだ。考えてみると、オオヨシノボリはもっと下流域にもいた。
水生昆虫のミズカマキリ、タガメ、タイコウチの多いところで、邪魔で仕方がなかった。
現在の長橋ができたときはお祭り騒ぎだった
長橋
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市街地のある貞光川左岸(西)と貞光川右岸(東)の宮内、大泉、白村を結んでいたのが「長橋」である。四輪自動車も通れ、市街地と右岸を繋ぐ重要な役割を担っている。
現在、「長橋」のあるところには明治代以前から橋が架かっていた。最初は「大橋」とも呼ばれていたという。木の簡単な橋であったのを昭和24年(1949)につり橋に造り変える。
それも洪水で流れて、昭和34年(1959)3月16日に現在のコンクリート製の潜水橋、「長橋」が出来て現在に至っている。
ボクの、上の世代から現在の「長橋」の開通式の話を何度も聞いている。今回の貞光歩きでも話にのぼったくらいなのでよほど印象深かったのだろう。
朝から煙火(煙火は花火ではなく上げても煙だけで、むしろ音を出すものだ)が上がり。小学生は弁当を持ってでかけ、右岸の川原で弁当を食べたという。
この川原で1970年代後半まで野球が出来た。よくここで幼なじみの池田高校、甲子園で活躍した野木正治、現在隠岐諸島隠岐の島町にいる大谷一雄の三人でむちゃくちゃなルールの三角ベース野球をやっていた。この時代まで貞光川はそれほど荒廃していなかったのだ。
橋の下は流れが緩やかで細かい砂地と石が入り交じっていた。左岸上手には杭と金網の籠に石を入れて作った勧農という護岸が少し残っていた。
勧農には「どぶろく(ヌマチチブ)」と「黒ぎぎ(ギギ)」、「うなぎ(ニホンウナギ)」が、石の下には「あいかけ(カマキリ)」が、流れには「じゃこ(オイカワ)」、「いだ(ウグイ)」がいた。
橋の左岸下手の石積みの護岸にはスミレの群落があった。橋の数メートル下手に排水の水が流れ混んでいて、ものすごい数の「じゃこ(オイカワ)」がいたが、ここに仕掛けを下ろしてもまったく釣れなかった。
そこにいつもやってくるのが「片きん」という茫洋としたオヤジサンだっだ。この人以外、使っているのを見ていない枕を思わせるようないびつな形の浮子に毛鉤仕掛け(これを貞光では「かがしら」と言った)で見る間に10匹近い「じゃこ(オイカワ)」を釣り上げ、ひしゃげた魚籠に入れるのが常だった。
釣りなどでとれる川魚のいちばん偉いのは「あい(アユ)」と「うなぎ(ニホンウナギ)」、次いで「いだ(ウグイ)」、「じゃこ(オイカワ)」だと思っていたら、このオヤジサンに「じゃこ(オイカワ)がいちばん上じゃ」と言われたことがある。
まさか貞光川のほとんどが下流域化してしまうとは、夢にも思わなかった。
これをもとの健全な川にもどすなんて、きっとできないのだろうな。
また貞光川は右岸の堤防が高く、左岸が低かったはずだが、今、同じ高さになっている。近年、1時間に100mmなどという豪雨が珍しくはない。大丈夫だろうか?
参考文献/『貞光町風土記―木綿麻の里に歴史を探る--』(柳川武夫 教育出版センター 1982)、『貞光町史』(徳島県美馬郡貞光町役場 1965)

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