「めばる学」01 江戸時代の眼張
江戸時代には、むしろカサゴが「めばる」だった

「めばる」と呼ばれた魚は多種であり、時代とともに変わっている。
『本草綱目』(1596年、明の李時珍の作った人に有益な動植物鉱石などの百科事典)が、江戸時代初めに国内に持ち込まれる以前に生き物を詳しく述べた書はない、と考えているので、「めばる学」は江戸時代から始めたい。
江戸時代にはこの『本草綱目』に習って様々な書が作られる。これを本草書とする。
〈目張魚 正字は未詳 △思うに、目張魚の状は赤魚に類していて、大へんみ張った目をしている。それでこういう。……播州赤石(明石のこと)の赤目張は江戸の緋魚(たぶんアコウダイ)とともに有名である。……黒目張魚 形は同じで色は赤くない。微黒である。大きなもので一尺あまり。赤黒の二種ともに蟾蜍(ひきがえる)の化したものである。〉『和漢三才図会』(寺島良安 東洋文庫 平凡社 正徳2年 1712)
〈めはる 状あかを(緋魚)に似て、目大にはり(張)いだし、闊口(おおぐち)ならず、味わいほぼ同じ、赤黒の二種あり諸州に多し〉『魚鑑』(武井周作 天保辛卯 1831)
この2書が江戸時代の本草書の中でも「めばる」にはいちばん詳しい。
『和漢三才図会』は江戸時代の絵の入った百科事典と考えるべきで、『魚鑑』は魚に特化した辞典的なものだ。
『本草綱目』に「めばる」はないので、「眼張(めばる)」は俗である。
「めばる」の体色は赤であること、口はそんなに大きくないことから、現在のカサゴとウッカリカサゴ(メバル科カサゴ属カサゴ)に当たる。
「黒目張魚」が現在のメバル3種(クロメバル、アカメバル、シロメバル)だろう。
この4種の特徴は目がまん丸で大きく、口はそんなに大きくない。大きくなっても一尺あまり(全長30cmほど)にも当てはまる。
■写真はカサゴ。
陸奥仙台のそい、すいも「めばる」の仲間入り

もっと多様に考える書もある。
〈眼張 めばる○陸奥仙台にて○そいと云又すいともいう……芸州にてめばるの児を呼て なるこ と云一種沖めばると云有(沖めばるという種もいるという意味) 其色黒味ひ厚し 病人食ふことなかれとなり〉『物類称呼』(越谷吾山著 安永4/1775 解説/杉本つとむ 八坂書房 1976)
『物類称呼』は江戸時代中期に出版された国内の事物の呼び名(方言)を集めたもの。
ここに「そい」が登場するが、現在のマゾイ(キツネメバル、タヌキメバル)、クロソイに当たる。
「沖めばる」は越谷吾山が現埼玉県生まれで、江戸に出た人なので、相模湾・東京湾に多いトゴットメバルである可能性が高く、ウスメバルを含む程度と考えた方がいいかも。今現在ではトゴットメバルの方がローカルな存在で、ウスメバルの方が全国的だ。
ただ、標準和名トゴットメバルの語源は呼び名(もともと疲れていた言葉、方言)であり、標準和名ウスメバルは明治時代に魚類学的につけられたものだ。
たぶん日本橋の魚河岸ではトゴットメバルの方が一般的で、太平洋側では沖合いにいて、銚子以北でとれるウスメバルは江戸時代の書に登場したかは疑問。
■写真はクロソイ。
これが明治時代になって本草学が博物学になり、動物学が各分野に分かれるに従って変化していく。
以上は書きかけの文章です。