ニホンウナギ
代表的な呼び名ウナギ
全関連コラム
珍魚度・珍しさ | ★★ 少し努力すれば手に入る |
---|---|
魚貝の物知り度 | ★ 知らなきゃ恥 |
食べ物としての重要度 | ★★★★ 重要 |
味の評価度 | ★★★★★ 究極の美味 |
分類 | 硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭区カライワシ下区ウナギ目ウナギ科ウナギ属
|
---|---|
外国名 | Japanese eel
|
学名 | Anguilla japonica Temminck and Schlegel, 1847
|
漢字・学名由来 | 漢字 鰻、棟木、胸黄 Unagi 由来・語源 標準和名は2010年にニホンウナギに変更。ニホンウナギは標準和名であって、魚類学的に使うものであって、一般には使う必要はまったくない。あえて言えば養殖業者とか、ヨーロッパウナギやオーストラリアウナギなど別種のウナギを扱う流通上では必要だろう。 ■「棟木」は家の屋根の斜面の中央にある一番長い材木で、ウナギの体が「棟木」のように長いため。 ■「胸黄」はウナギの胸の辺りが黄色いために「むなき」、「むねぎ」がウナギに。 ■ 「大長(おおなぎ)」の意味。ドジョウに対してもっと大きく長いの意味からきた言葉。 〈硬骨魚目無足亜目ウナギ科ウナギ〉『日本産魚類検索』(岡田彌一郎、松原喜代松 三省堂 初版1938) Temminck コンラート・ヤコブ・テミンク Coenraad Jacob Temminck(1778-1858 オランダ) シュレーゲルとともにシーボルトの持ち帰った脊椎動物を整理、記載。『Fauna Japonica』(日本動物誌)を執筆。 Schlegel ヘルマン・シュレーゲル(Hermann Schlegel 1804-1884年)はドイツの動物学者。テミングとともにシーボルトの持ち帰った脊椎動物を整理、記載。『Fauna Japonica』(日本動物誌)を執筆。 |
地方名・市場名 |
概要
生息域
海水→淡水→海水。
【非常に少ない】小笠原諸島、【少ない】北海道太平洋〜三陸、日本海青森県〜福井県。伊豆諸島、三陸地方南部〜紀伊半島、近畿地方〜中国地方、四国、五島列島、九州、屋久島、琉球列島。
朝鮮半島全域、台湾、中国沿岸の各省、四川省成都・重慶〜陝西省の揚子江流域、海南島。
生態
シラスウナギに変態して河口や沿岸に現れ、この時期ウナギ養殖の稚魚漁が行われる。やがてシラスウナギは体色の黒いクロコに成長し、河川を上る。
ウナギは河口域、中流域、上流域に生息。湖沼、田、水路などにも姿を見せる。ただし一生、汽水域にとどまり淡水域に入らない個体もある。河川での生活は5年〜10数年で、成熟年齢は4歳。産卵個体を体色から「銀うなぎ」とも、「りんず(綸子)が出たうなぎ」ともいう。秋に川を下り、南に向かう。
基本情報
ニホンウナギというのは標準和名であって一般的には誰も使わない言語である。普通はウナギである。北海道南部から琉球列島まで日本全国でみられる。グアム沖の深海で生まれ、日本各地の海辺に到達、河川に上る。近代になり浅海や河川が荒廃する以前には非常に身近な存在であった。様々な民芸品や玩具、絵などにも描かれ、信仰の対象となるなど食文化以外にも重要な存在である。
ウナギは裂いて焼くという料理法が生まれる前は非常に特殊な食用魚であったが、裂いて開いて料理するようになり重要な食用魚となり、また高級な魚になる。明らかに江戸時代からの高級魚。当時は露天の店と、座敷のある店があったが、座敷のある店でウナギを食べることは一種のステータスでもあった。
また明治時代になり養殖が確立して急速に食用魚として一般的なものとなる。最近では国内養殖だけではなく、台湾、中国などからの輸入ものもあって、国内どこでも食べられるようになる。
また近年は養殖のためのシラスウナギの減少で国内でとれる標準和名ウナギ以外にも、オーストラリアウナギや東南アジアのウナギなども輸入されている。
加えるにウナギの完全養殖が研究段階ではあるが成功しており、養殖鰻の生産に関しても新しい段階を迎えそうだ。
ウナギの食べ方は限られており、開いて素焼きにしたものが白焼き。甘辛いタレをつけたものが蒲焼きとなる。東西、日本各地で食べ方に変化がある。いちばん重要なのが東西での違い。
関西では腹開きにし頭をつけたまま1本を焼き上げる。関東では背開きにし頭を落として二等分して焼き、途中に蒸す工程がはいる。最近では関東の蒸しの行程の入るやり方が主流になりつつある。
珍魚度 天然ものは産地に行って探すか、市場などで探すしかない。養殖ものはいつでも手に入る。生きているものを手に入れるのもそんなに難しくない。
水産基本情報
市場での評価 ほとんどが養殖されたもの。市場で見かけるものは活けは淡水魚専門店、蒲焼きなどの加工品は塩干にある。非常に多彩で、数量が多い。輸入ものでは活けが台湾、加工品は中国が多い。
漁法 釣り、ウナギ筒、ウナギカマ漁など様々な漁法で
主な養殖地 鹿児島県、愛知県、宮崎県、静岡県、高知県
輸入ものでは台湾のものは冬季などに人気があり、国産と値段の点であまり大きな違いはない。
中国産は加工品となることが多い。
選び方・食べ方・その他
選び方
原則的に生きているもの。天然はできるだけ大きいもの。脂ののっているもの。
味わい
ウナギの旬は養殖ウナギと天然ものでは違いが出る。天然ものは大きい方がおいしい。
天然ウナギは秋から冬。特に産卵で下りに入ったもの。海のウナギをよしとする。最近では海辺にはたどり着くが川に入らないものもいる。これもよしとされている。
年間を通して。なかでも冬に養殖池に入れたもので成長の早い「飛び(とび)」をよしとする。早いものでは半年ほどで出荷できるまでに育つ。この「飛び」の出荷される初夏が養殖ものの旬。
頭部よりも尾に近い方がうまい。鱗は埋没して気にならず、皮は厚みがあって硬い。白身で脂が混在している。身以外に肝なども美味。
血液にはウナギ血清毒があり、大量に飲むと吐き気、下痢、発疹、呼吸困難などにみまわれる。血液が目に入った場合、激しく痛みを感じたり、異物感が残る。また傷口などに入ると化膿することも。
栄養
ー
危険性など
血液には血清毒があり、口に入れると痺れや湿疹、吐き気、呼吸困難を引き起こす。
食べ方・料理法・作り方
好んで食べる地域・名物料理
・岐阜県岐阜市では腹開き、頭を落とし、長いまま焼く。蒸さない。[岐阜県岐阜市]
・滋賀県高島市西友のものは腹開き。長焼き(頭つき1尾を切らないで長いまま焼く)。
・福岡県北九州市小倉では腹開き。蒸さない。
かぶと焼き(兜焼き) 関東ではウナギの頭部を兜という。これを生の状態から焼き上げてタレに漬け込んで焼き上げる。
【県別うなぎ飯】
う雑炊 雑炊を作り、ウナギの蒲焼きを加えて卵をかけまわしたもの。『うなぎの本』(松居魁 柴田書店 1977)
【その他ウナギ料理】
肝わさ ゆでた、もしくは軽く煮た肝と腸などを適宜に切り、わさびしょうゆをかけたもの。[いずもや 日本橋]
【駅弁】
うなぎめし 明治40年(1907)年に宮城県遠田郡美里町にある小牛田駅で初めて売り出された。まだウナギの養殖が確立する前ではないかと思うので興味深い。『うなぎの本』(松居魁 柴田書店 1977)注 今はない。
うなぎぼく飯 「ぼく」という大型のウナギの蒲焼きを適宜に切り、青ネギを散らしている。[船宿 静岡県湖西市新居町]
ひつまぶし釜飯 陶製のお釜にご飯を入れ、錦糸卵、1㎝前後に刻んだ鰻の蒲焼き、しいたけ、にんじんの煮もの、ウズラ卵などをのせたもの。守口漬けが添えられているのがいい。[だるま 愛知県名古屋市]
専門の重箱にご飯を入れ、タレをかけて蒲焼きをのせたもの。地域によって多少の違いあり。関西、関東、など地域によって様々。[東京]
・関東では背開きにして、2等分、もしくは3等分して竹串打ちして焼く。焼き上がったら蒸す。蒸しの時間は各店で違う。蒸し上がったらたれにくぐらせて、焼く。タレには2〜3回くぐらせる。関東のタレの基本はみりんにしょうゆ半々。[東京]
名古屋市周辺。ご飯の上に海苔を敷き、刻んだウナギの蒲焼きをのせたもの。まずはそのまま食べて、それが飽いたら茶をかけて食べる(茶漬けにする)。[あつた 蓬莱軒、いば昇]
大阪では「うな丼」を「まむし」という。碗(椀)のふたをとると白いご飯にタレがかかっていて、ウナギの蒲焼きは見えない。ご飯とご飯の間にウナギの蒲焼きが挟んでいたもので、ご飯に蒲焼きをまぶしながら食べるので「まぶし」が「まむし」になった。[大坂市天満橋伊賀喜]
滋賀県『逢坂山 かねよ』のものは蒲焼きにだし巻き玉子をのせたもの。[逢坂山 かねよ 滋賀県大津市大谷]
京都ではご飯に錦糸卵をのせ、その上に蒲焼きを乗せたたものを「きんし丼」と呼ぶ。錦糸卵とウナギの蒲焼きが意外に相性がいい。京都の特徴はウナギ専門店ではなく普通の食堂でウナギが気軽に食べられること。[マキノ食堂 京都中央市場]
関東では背開きにして返しながら焼き、蒸す。これをあぶったもの。
関西では数尾一度に焼き、たれをかけないで焼き上げたもの。
関西では頭部から斜め腹開きにして、長いまま頭つきのまま金串に数本刺す。これを焼き上げる(地焼き)。タレは瓶などからかけ回す。この焼き上げた頭部を落としてうな重、まむしなどにするのだが、この頭が「半助」。
松野町を流れる広見川の天然ウナギを蒲焼きにしたもの。海に近い場所にいるものと比べて小振りで皮が柔らかい。非常に美味。[農家民宿 わらび 愛媛県北宇和郡松野町]
「うなぎの蒲焼き」と「きゅうりもみ」を合わせたもの。和えたものもある。「ざく」は大阪で「きゅうりもみ」のこと。もともとは大阪などの料理であった可能性大。[川上商店 大阪府大阪市鷲津東2-2-8 木津卸売市場]
ウナギを開き、そぎ切りにしてすき焼き地で煮たもの。「じゅんじゅん」は滋賀県琵琶湖周辺ですき焼きのこと。小振りの6Pを使ったものが私好み。ちなみに滋賀県ではイサザ、ナマズでも「じゅんじゅん」を作る。
大阪では頭をつけ、長いまま焼き、焼き上がったら頭を落とす。この落とした頭を「半助」という。これを焼き豆腐と煮たもの。煮た鍋。[大阪]
福島県会津若松市「えびや」で食べた。骨が気にならないくらいにかりっと揚げたもの。
茶碗蒸しに使うような大振りの筒状をした器にウナギの蒲焼きを入れて熱燗をそそぐ。『うなぎの本』(松居魁 柴田書店 1977) ※斎藤茂吉は昭和10年(1935)1月5日に小見川(千葉県香取市小見川町)の林屋という宿で「夜ハ鰻酒ヲシテ飲む」。
割くときに切り取った鰭の部分を串にさして焼き、タレをつけて焼き上げたもの。関東周辺。
この割いたウナギの肝を吸いの種としたものを肝吸いという。
加工品・名産品
釣り情報
ミミズ、ヒル、小魚などをエサに穴釣り、延縄などで釣る。
歴史・ことわざなど
宣伝文 風来山人太田蜀山人(太田南畝 寛延2年~文政6 1749~1823)、平賀源内(享保13~安永8年 1728~1780)がさる鰻屋のために宣伝文「本日土用丑の日」を書いた。
明和誌 明和誌に「近き頃寒中丑の日の紅をはき、土用に入り、丑の日に鰻を食す。寒暑とも家毎になす。安永、天明の頃より始まる」『なごや飲食夜話』(安田文吉 中日新聞社 2011)より二次的に。> 『明和誌』(白峯院著。文政5(1822)年序)
能義奥 島根県能義奥は現安来市広瀬町比田では〈夏の土用の丑の日、……鰻を食べれば暑さ障りをせぬという。〉『能義奥の民俗』(畑伝之助 島根県文化財愛護協会 1967)
シーボルト: 文政9年(1826)、シーボルトが江戸に来たときに、土生玄硯(宝暦12〜嘉永1/1762〜1848)が〈上野山下にあった大和屋という古い鰻屋があって、その店の蒲焼きは型も中程で味も江戸随一と言われている。かれは、それをシーボルトの手土産に……〉。以来、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold 1796〜1866)はウナギ好きになった。注/二次的な資料[ふぉん・しいほるとの娘 吉村昭 新潮文庫]
鰻つなぎ 串を打った鰻の蒲焼きが小紋(着物・布の柄)となっている。寛政期には今と変わらない蒲焼きが作られていたことの証明になる。『小紋雅話』(山東京伝作・画 蔦屋重三郎 1790)
宇治丸 宇治川はウナギの産地として有名。ここで作られた鮓、もしくは古風な丸焼き。
和歌 奈良時代になった万葉集に大伴家持がよんだ「痩せたる人を嗤咲ふ歌(和歌)」に、
石麿にわれ物申す 夏痩に良しというものぞ 鰻とりめせ
痩す痩すも生けらばあらむを はたやはた 鰻を取ると川に流るな
まむし 「出雲屋」のまむし:この記述はウナギを割いて現在のような蒲焼きの形にしたのは出雲、すなわち島根県だという説もある。宍道湖周辺でウナギが大量にとれた。これを大阪に出荷して広めたのがウナギ屋のはじめとの説もある。それで織田作之助の時代、すなわち昭和初期から戦後にかけては大阪でウナギ飯(まむし)とくると「出雲屋」とされ、またこの出雲屋大阪中に何軒もあったわけだ。『夫婦善哉』(織田作之助 ちくま日本文学全集)道頓堀相生橋東詰
江戸前ウナギ 〈初夏から秋口にかけては大川(隅田川・ぼうずコンニャク注)の流れが東京湾に注ぐ品川あたりの産をよしとした。また時期によっては中川尻とか、江戸川口がうまいとされていた。〉とある。これに対して上流でとれるウナギはあまりうまくないとも。それと面白いのは銚子、利根川のウナギが秋から春にかけてうまいと記されていること。『明治商売往来』(仲田定之助 ちくま学芸文庫 明治時代の貴重な資料である)
江戸前、旅うなぎ 〈江戸にては浅草川深川辺の産を江戸前とよびて賞す、他所より出すを旅うなぎと云う〉『物類称呼』(越谷吾山著 安永4/1775 解説/杉本つとむ 八坂書房 1976)
四谷怪談 鶴屋南北の四谷怪談にウナギを長い銛のようなヤスで掻いてウナギをとるというのが出てくる。四谷怪談は文政8年(1825)。『芝居の食卓』渡辺保 朝日文庫
鰻重・うな丼 「江戸中期の文化年間(1804〜17年)に、芝居の小屋が立て込んできたときに日本橋堺町(注:天保の改革で芝居小屋が浅草に移る前、日本橋は芝居小屋の建ち並ぶところであった)に、ウナギが大好きな大久保今助という金主(芝居興行の準備のための金貸)が住んでいた。当時ウナギの蒲焼きとご飯が別々に器に盛られていたのを、これでは蒲焼きが冷えてしまう。なんとか冷えないように工夫できないかと葺屋町のウナギ屋『大野屋』に丼の上に蒲焼きをのせてみてくれと頼む。これがうな丼誕生紀とする。
島根のすさみ 天保11年(1840)、川路聖謨が佐渡奉行につく旅の途中、渋川で〈うなぎのみそ漬也。珍敷き事〉
福井県 北潟湖、南の三方湖周辺に多い。湖でとれる天然ウナギもある。現在入った店を見る限り地焼きであるようだ。
滋賀県 淡水魚を扱う店が多く、ほとんどの店でウナギが売られている。
説1古くウナギは長い筒切りにして串に刺して塩焼きにした。この形がガマの穂ににていたので「ガマの穂焼き」が変化した。写真は筒切りにして真ん中に串打ちしたもの。植物のガマの穂に似ている。
説2焼いたときの「かんばしい香り」から「かんばしい焼き」から変化。
説3ウナギを焼いた時の色合いが「樺色(桜の樹皮)」だから。
ウナギはぬるぬるしてつかもうとしてもつかめない。難に捕まらない(難を逃れる)として鬼門に向けてこの彫刻がある。[雷電神社群馬県板倉町]
地方名・市場名
サイズ / 時期頭部と尾 備考頭部と尾をつけた長いまま焼く地域は、焼き上げたあとに頭と尾を切り落とす。この地域では「上下」といいそれも販売している。 場所三重県伊勢市・松阪市、熊本県人吉市
サイズ / 時期小型 場所千葉県小見川、東京都
備考市場などの老人の間で使っていた。2008年。一般的にはウナギを扱うときの呼び名である。 参考聞取 場所大阪府
サイズ / 時期頭部 備考大阪では頭をつけたまま蒸しの工程抜きで焼き上げる。仕上げに頭部を落とすが、この頭部だけを販売している。家庭などでそのまま温めて食べたり、「半助豆腐」にする。 場所大阪府大阪市
参考『貞光町史』 場所徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)
参考私の浅草(沢村貞子) 場所東京浅草
サイズ / 時期小型 場所東京都
サイズ / 時期頭部 備考関東では生の状体で頭と尾の先を切り落とす。この頭の部分をいう。生の兜は串などに刺し、焼いて食べる。 場所東京都、千葉県、埼玉県
場所標準和名
備考〈皮がゴムのようにかたくて不味。これは川尻 に多くみられ、居ついているウナギであると言う〉「菅浦の湖岸集落景観保存調査 2014 滋賀県長浜市」 参考「菅浦の湖岸集落景観保存調査 2014 滋賀県長浜市」 場所滋賀県長浜市菅浦
参考日比野友亮 場所関東、関西、福岡県久留米市など日本各地で一般的に
備考千葉県で養殖ウナギで大きく育ちすぎたもの。 場所千葉県
サイズ / 時期大型 備考成長が早く大きくなりすぎて出荷できないサイズになったもの。棒杭、大木などを「ぼく」ということからついた。 場所静岡県浜名湖周辺、滋賀県長浜市菅浦
クロメ[黒目] サイズ / 時期ウナギの生態に変体したばかり
オオウナギ[大ウナギ] サイズ / 時期大きくなったもの
備考レプトケファルスを「シラスウナギ」、ウナギの生態に変体したばかりを「黒目」、大きくなったものを「大ウナギ」。
マウナギ ウジマル[宇治丸] アオウナギ