頭を触ればガンコだとわかる
一見普通だけど、触ったり、よくよく見ると「隣の珍魚」
【学者にとっても水産のプロにとってもちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、目的の魚の隣にいて見向きもされなかったり、見た目が変なので普通の人にとっては珍魚だったり、何気なく見ていると普通だけど、よくよく見ると変で、ちょっとだけ珍しい、のを「隣の珍魚」という。「隣の珍魚」を知っているととても自然に優しいし、環境にも優しい】
この魚、ガンコは山陰以北の日本海、銚子以北の太平洋の深場に生息している。
全長50cm弱で、普通の人がいきなり見たら魚だとは思うだろうけど、それ以上なにもわからないと思う。
見た目がかなり厳つい。一見刺々しく見えないし、ぶよぶよしているので触ってみようかな、と思うはずである。触ったらわかることだけど、この魚、皮膚の下が棘だらけなのだ。チクリと刺されるような棘ではなくゴツゴツトゲトゲしていて、痛いけどケガはしないはずだ。
しかもまるで西部劇の悪役俳優のような頬髭、口髭を生やし、実に精悍な面構えをしている。
とても根は気のいい頑固オヤジには見えない。
ガンコで洟垂らしじゃ、いいところないね
でもなぜ、この魚は新潟県、富山県で「頑固」と呼ばれているのか? それは性格のことなのか? 見た目が頑固オヤジに似ているからか?
例えば水揚げされたとき、漁師さんに威嚇するような態度を取るとか、網にからまってなかなか外れてくれないとか、ではなく目つきの悪さからではないか。
言い出したら聞かない、信念が目に宿っている。ように見える。
山形県では「洟垂らし」という。水ばなをたらした子供のようだ、ということからきているのは、暴れると水ばな(粘液)を出すからだ。
新潟県、富山県での呼び名を、魚類学の父とされる(異論もあるだろうけど)田中茂穂が採用して、標準和名にしたのだと思っている。この人、どちらかというと奇妙な名をつけるのが好きなので、「頑固」には手を叩いて喜んだはずだ(のちのち知らんぷりしているが)。
田中茂穂は明治11年(1978)生まれで、魚類学者として活躍したのは1945年の敗戦以前である。ガンコは記載(世界で最初に発見して魚類学的に研究、発表し、学名 Dasycottus japonicus TANAKAをつける 。最後のTANAKAは田中茂穂)もしている。(残念ながらすでに Tarleton Hoffman Bean によって記載済みであり、無効となる。)
たぶん田中茂穂が研究に使った固体は、富山湾のものだと思うのだけど、文献が見つからない。
昔はカジカ科の魚だった。ここから迷路に入る。カジカというと川にいる黒い小さな魚を思い浮かべるだろう。実はカジカの主流は海にいる。でかいのは5㎏とか10㎏なんてのもいて、口がでかくてトゲトゲしているのが特徴なのである。
北海道で汁物にする「鍋こわし(トゲカジカ)」がこの科を代表する食用魚だ。
その後、本種はカジカに近い魚だけど、ちょっと別のグループだということで、ウラナイカジカ科に移動するが、大きな意味ではカジカの仲間である。
余談だが、ウラナイカジカは田中茂穂がつけた名で漢字は、「占杜父魚」だ。当たり前だがこの魚を、占いに使ったとは思えない。なぜ「占」なのかまったくわからない。同じく田中茂穂命名に「夢笠子(ユメカサゴ)」があるが、とても夢見る魚には思えない。昔の魚類学者は自由気ままに魚名をつけていたようなのだ。
寒い時季にはガンコ鍋といこうぜ!
閑話休題。
本稿はあくまでも消費地から見た「隣の珍魚」であるが、今回の主役のガンコは消費地にとっては明らかに「珍魚」、産地である日本海周辺とか北国では「隣の珍魚」だとするのが正確だろう。
産地では、お安くて、手間いらずな冬の鍋材料だが、好んで買っていく人はあまりいないようなのだ。
日本海では、寒い時季の深場の底曳き網に入る。そんなにたくさんとれないが、少なくはない。新潟県、京都府のスーパーではぶつ切りが特売されていたくらいだから、安い魚なのである。
問題は魚に詳しい人は買っていくが、多くの人にとっては産地と言えども「隣の珍魚」なのである。
さて、日本海に行くなら、お土産にガンコはいかがだろう。意外に探すと見つかる確率は寒い時季なら高い。
魚屋さんに言えば鍋用にぶつ切りにしてくれるだろう。これを保冷バッグにでも入れて持ち帰るといい。翌日にでも鍋にすれば、名前がガンコから始まって話が盛り盛り盛り上がるはずだ。しかも味はあんこう鍋に負けない。