202406/06掲載

奈良の番茶が生んだ茶がゆ

しおれた状態にして手で揉んだだけの状態


奈良県十津川村平谷、『ふくおか』から「番茶」を取り寄せた。取り寄せは、よほどのことがないとやらないので異例だ。同村の松寶純子さんがチャノキの葉をやや野性的につみ、よくよく揉んで作ったものだ。
十津川を縦断したのはサンマのことを調べるためだ。国内でもっとも早くからサンマを流通させたのは熊野(三重県・和歌山県)と奈良県、後に畿内、美濃である。サンマの歴史にとってもっとも重要な地域と言えるだろう。
そんな旅の途中、小さなスーパーというかコンビニのような店、『ふくおか』で見つけたのがこのお茶である。

これを鉄鍋にいれてじっくり時間をかけて弱火で煎る。


このどちらかというと野暮ったい、「番茶」がとても好きだ。
作っているのが、奈良県・三重県・和歌山県とサンマの道と重なっているのも興味深い。
自分で煎って久しぶりに飲んだ「番茶」に、自分の郷里のものでもないのに懐かしさをおぼえ、茶がゆで腹の中のトゲトゲした部分が消え去る。
茶がゆには癒やし効果と薬効があると思う。
当時、サンマの丸干しはとても高級なものだったと思われるが、ハレの日などに、茶がゆとサンマの丸干しもありえたかも。

奈良の番茶でたく茶がゆはさらりとしていくらでも食べられる


昔、奈良県の多武峰神社から徒歩で下っているとき、今でいう熱中症になったことがある。急激に体が動かなくなった。そのとき家を見つけて冷たいお茶を飲ませてもらい。思いがけず、茶がゆを食べさせてもらった。
以後、ずーっとこの地域の「番茶」を欠かさずにいたのだが、最近、「番茶」地域に行っていない。
ちなみに、この地域はこの国のお茶の先進地帯である。チャノキがこの国に広まり始めたのは鎌倉時代で、やはり近畿地方とアジア大陸南域に近い北九州からだろう。三重県や奈良県で山歩きしていると、チャノキが野生化しているのに普通に出合うのも、この歴史を物語っている。
奈良県東吉野村の茶畑で、チャノキが半野性的な育ち方をしているのを見せてもらった。同じ旅で和歌山県北山村でも見ているので、北山村にも同じようなもっとも原初的な番茶があるのかも知れない。
奈良県の番茶は主に茶がゆ用である。茶がゆに向いている「番茶」は島根県伯太町にもあるが、新しい売り方になり魅力がゼロになる。

淹れ方によって渋味や甘味が変わってくる


蛇足だが、徳島県のお茶についても。
徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町貞光)の商店街育ちで、ずーっと緑茶もしくは緑茶の玄米茶だった。今でもつるぎ町は緑茶の産地である。
学校に上がってはじめて「番茶」に出合う。酸味のある徳島県東南部の「番茶」で、最近では「阿波番茶」と呼ばれることが多い。ちなみにこの言い方に違和感をおぼえるのは年代的なものかも知れない。
徳島県南部には「寒茶」というものもある。これは至極優しい味のお茶だ。
お茶の地域性は大切にしてもらいたいものだ。


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