しもつかれ、すみつかれ、つむづかり、について
もともとは鎌倉時代前期の、京の「すむつかり」

すむつかり
「しもつかれ」は初午前日に作る稲荷神への供えるもののひとつ。本来、旧暦の2月(新暦の3月)の最初の午の日のために作るものだ。赤飯と一緒にして稲荷神社に、稲荷様に供えるのが基本である。
ただし現在ではほとんどの地域で新暦の2月に作られている。古くは春の行事であったものが、新暦になって厳冬期の行事になったことがわかる。
ちなみに今でも初午の行事を旧暦で行う地域もある。
基本的な作り方は塩サケの頭(地域によっては塩マスの頭)を煮るか焼くかする。これをほぐして、酒粕・鬼下ろしで下ろした大根、大豆、にんじん、油揚げと煮て作る。
これを初午の日に稲荷神社、稲荷の祠に供える。
例を挙げると、那須塩原市西那須野町には〈二月の午の日(初午)には鳥ヶ森のお稲荷さんにおまいりして、五色の神と、わらつとに赤飯としもつかれを入れたものを供え、農産物の豊作祈願をする〉。
もっとも広域で作っている栃木県で「しもつかれ」という。
福島県南会津地方、群馬県、茨城県、埼玉県の広い地域で作られている料理で、「しみつかれ」、「すみつかり」、「すみつかれ」、「すみずかり」、「つむづかり」ともいう。
ちなみに栃木県などで「霜疲れ」という漢字を当てているが、春のものだとすると疑問だ。
稲荷と初午というと、稲荷の総本宮である京都伏見稲荷の創建時(711)の伝説に稲荷山の三ヶ峰に稲荷神が降りてきたのが、初午の日に当たり、同社では大祭が行われる。この「稲荷と初午」の話が、稲荷神社と稲荷の祠と一緒に日本各地に伝わったのだと考えている。稲荷神社は日本各地に膨大にあり、祠(小さな社)を含めると数え切れないほどだ。百済の帰化氏族である秦氏の創建した社であることから、「稲荷と初午」に関しては朝鮮半島との結びつきも考えるべきだ。
「しもつかれ」群という料理の起源や呼び名の意味は鎌倉時代、平安時代にまでたどれるようだ。
〈『宇治拾物語』(源隆国/正二位まで上りつめた公卿。鎌倉時代前期、1221-1221)の「慈恵僧正戒壇築たる事」に「すむつかり」があって〈大豆を煎って酢をかけたもの。酢をかけると大豆に皺が寄って箸で挟みやすくなる。これを子どもがむずがって顔をくしゃくしゃにしているようだというので、「酢憤(すむつか)り」という〉という話が出ている。慈恵僧正は良源といい天台座主だ。とすると、似たような料理は平安時代の京にまで遡れる可能性が高い。
『たべもの史話』(鈴木晋一 平凡社)
料理法の期限は古く、平安時代の京に起源があるとしても、関東での分布域を見ると利根川水系とその周辺域に多いことがわかる。水系に当たらない栃木県大田原市、那須塩原市、湯西川などは利根川水系から伝播したものだろう。
福島県南会津町旧舘岩村・伊南村・南郷村は栃木県へ出稼ぎに行った人がもたらしたものだという。
福島県南会津地方、関東の栃木県、群馬県、茨城県、埼玉県で初午、もしくは二の午の前日に作る。
多くの地域で、初午の日(今は新暦の2月の最初の午の日だが、本来は旧暦なので新暦だと3月初旬)にわらづとなどにくるみ稲荷神に奉る。
■写真は福島県南会津町の稲荷の祠に供えられた、「つむずかり」。
主材料はサケの頭と酒粕

主な材料は塩ザケ、塩マス(カラフトマス)の頭と酒粕である。ちなみに昔はこの2種だったが、近年ではギンザケなどを使って作ると言う人もいる。
関東でサケを食べる習慣はそれこそ歴史時代以前からだと思う。塩の交流はあったと思うので、すべてが塩をしたものに違いない。「しもつかれ」の分布域の中心にあるのはサケの産地でもあった利根川水系・栃木県から茨城県を流れる那珂川周辺である。栃木県と群馬県を流れる鬼怒川も渡良瀬川も、埼玉県の荒川も利根川水系だ。
面白いことに福島県南会津では旧南会津郡の西部で作られていて、東部の田島では作らず、会津地方の会津若松でも猪苗代でも作らない。南会津で聞取をすると栃木県に出稼ぎに出て、おぼえて帰ってきたともいう。
現在のところ「しもつかれ」群料理が確認できている地域を挙げる。
福島県南会津町西部。
栃木県日光市・湯西川(現日光市)・那須塩原市・大田原市・栃木市・さくら市・小山市・宇都宮市今里・那須郡那珂川町。
群馬県板倉町・館林市。
茨城県結城市・境町。
埼玉県熊谷市下久。
ほとんどのところで直売所で手に入るし、実際に家庭で作られているのを確認ずみ。
市販品があり、ほとんどの家庭で初午用に買い求めている

栃木県では新年になると塩サケの頭、酒粕、油揚げなど「しもつかれ材料」、加工品としての「しもつかれ」がスーパーに並ぶ。ただ、最近ではほとんどの家庭で自宅では作らず、市販品で初午用に買い求めている。
味は食べてみないとわからないという、表現の難しいものである。
鬼下ろしで大きく下ろした大根とにんじんの味がきて、細かくなりすぎて存在感のなくなったサケのうま味というか、サケらしいだしは感じられるものの、サケの身の存在感はない。酒粕から微かだが酸味が出ていて、甘味も出ているようでもある。酒粕は全体の味わいをまとめ上げる役割を果たしているようだ。
塩味はサケからのものと、醤油ではないかと思うが、近年作られているものは、非常に塩分濃度が低い。
味のいいものと、おいしくないものの落差が激しい。「しもつかれ」を無闇においしいという人は、本心なんだろうか? 間違いなくいろんな地域で複数の「しもつかれ」を食べていないと思っている。
ちなみに非常においしいというお宅のは、だれが食べてもおいしいものだ、ということだけは述べておきたい。
もしも、全般的に「しもつかれ」がおいしいものならば、初午にだけ作られるのではなく、年中作っているはずである。
【材料/大根、ニンジン、塩引き鮭の頭、節分の大豆、酒粕】
大根とニンジンは鬼おろしで粗くおろし。
塩引き鮭の頭は焼いてぶつ切りにし、ゆがいて細かくほぐす。
大豆は焙烙で煎って、皮を取り除く。
鍋にニンジン、大根、鮭、大豆、油揚げを入れ、ことことと煮込む。
油揚げや竹輪を入れるという家もあり、なめこが入ったものもあった。
塩引きが柔らかく煮崩れるようになったら酒粕をのせて、柔らかくなるまで煮て、最後に醤油で味付けする。
八升だきの鍋で作るので、幾日にもわたって食べる。初午の日に赤飯と食べるとおいしい。
『聞書き 日本の食事』(農文協力)、『熊谷市史調査報告書 民俗編 第二集 食生活』(熊谷市史編さん室)
栃木県日光市今市、花市としもつかれ

栃木県日光市今市では初午の行事が盛んである。
他の地域と同様に、初午の日に赤飯と一緒に、稲荷神に捧げている。
近年では2月11日に「花市」が開催され、たくさんの露店が並ぶ。
このときに合わせるように行われているのが「しもつかれコンテスト」である。各家庭から持ち寄って味を競う。
今市は山間部の町だが、日光東照宮の入り口であり、江戸時代には日光例幣使も泊まる大きな宿場だった。
日光東照宮がなければ山間の集落であり、サケの産地からは遠い。塩ザケの流通の末端近くで、当然塩ザケは御馳走である。
塩ザケはハレの食、マス(カラフトマス)にケの食であったはず。
ハレの日に食べるご馳走、塩ザケを総て使い尽くすための料理だったかも知れない。
[写真は日光市今市の「花市」 栃木県日光市今市]
栃木県日光市今市、しもつかれチャンピオンのしもつかれ

栃木県日光市今市、「花市」の日に行われているのが、「しもつかれコンテスト」である。
写真はチャンピオンになった方が作ったもので、酒粕、大豆、にんじん、大根、サケの他に油揚げが入っている。
酒粕の作り出す酸味があり、「しもつかれ」の中でもあっさりしていて、食べやすい。
[栃木県日光市今市]
群馬県板倉町のしもつかれ

群馬県邑楽郡板倉町のもの。
この地域は渡良瀬川と利根川が合流する関東平野の中心に広がる水郷地帯で、盛んに淡水魚を食べる。
栃木県、茨城県、群馬県、埼玉県が接していて、地域共通の食文化が見られる。
ここでは酒粕、大豆、にんじん、大根、サケの他に竹輪が入っている。
ちなみに板倉町の西にあるのが、江戸時代に館林藩のあった館林市である。関東には珍しく10万石と藩域が大きく、徳川四天王のひとり、榊原康政が立藩、徳川綱吉が藩主であったこともある御三家に次ぐ家格の藩である。
この館林市でも「しもつかれ」が作られている。
[群馬県板倉町]
栃木県那珂川町の「しもつかれ」

栃木県那珂川町は県東部、那須地方にある。中央を流れるのが那珂川である。
那珂川では今も銛でのサケ漁、簗でのサケ漁が行われており、サケの産地でもある。
酒粕、大豆、にんじん、大根、サケの他に油揚げ入である。
しっかり煮込んでいて、非常に柔らかくどろっとしている。
[栃木県那須郡那珂川町]
福島県南会津町の「つむづかり」

「つむづかり」は福島県舘岩村・南郷村・伊南村(現南会津町)で作られている。この地域には栃木県に出稼ぎに行った人が習いおぼえてきたものだという。
基本的には初午の前日に「つむづかり」を作る。初午の前日以外に作ると禍があるとか火事になるとかの言い伝えがあるが、二の午で作る旧舘岩村岩下の一部では初午のとき火事があって、火を避けるという意味で二の午に作るようになったという。
この地域は今でもサケ類であるサケ、マス(カラフトマス)、ギンザケ、タイセイヨウサケなどをよく食べる。取り分け、塩ザケ(サケ)、塩マス(カラフトマス)をよく食べていたが、その頭と大根やニンジンと煮ても食べていた。「つむずかり」はその延長線上にもあるように思える。
塩マスの頭はゆでてほぐす。
にんじんを切り、大根をあらく下ろす。昆布と打ち豆を用意する。
酒粕は少量入れるところと、入れない家もあるという。
他には家ごとに竹輪、薩摩揚げなども使う。
鍋に塩マスをゆでたときの汁、材料を加え煮る。
塩気は塩マスの頭から出るので、調味料は不要だ。このときの汁は保存して置けば何度でも「つむづかり」が出来るのだという。
この、「つむづかり」に、赤飯と「おからくだご」を稲荷神に供える。
色紙を繋げて、「奉納正一位稲荷大明神」と書いたものを稲荷の祠周辺に結ぶ。
[協力/ハローショップみどりや、君島さん(福島県南会津町)]