202404/01掲載

徳島県「かつ」の食べ方の基本を考えてみる

「かつ」と「ちっか」は徳島の練り製品の代表である


「かつ(フィッシュカツ)」はどのように食べていたのか、そして食べているのか、という話をしたい。
徳島県の山崎さんから津久司蒲鉾の「ちっか(竹ちくわ)」と「かつ」を送って頂いた。まことにありがとうございました。
津久司蒲鉾がある小松島市(こまつしまし)は徳島県というもっともミニマムな県の中で、もっとも早くから市になったところである。ボクが子供の頃は殺伐とした噂もあり、また大阪に向かう船の発着所があった。ボクと小松島市の最初の関わりは曖昧だが、大阪万博のときにここから船に乗ったことだったと思う。
模型を買うのも、徳島ホールで映画を見るのも徳島市だったし、祖母が丸新デパートやつぼみや(デパート)に行くのも徳島市だった。徳島市はボクにとってしごく馴染み深いところだが、小松島市は船の発着所のむせるような油と海のにおいの記憶しかない。どことなく東映や日活の映画に出てくる港町のようだった。
知名度は低いものの徳島県は練り製品の会社が多いところだ。その多くが、大合併以前から市であった、小松島市と徳島市、鳴門市、阿南市にある。多くの練り製品が大阪と共通するものでしかないが、「ちっか(竹ちくわ)」と「かつ(フィッシュカツ)」だけは徳島にしかない。ちなみに「かつ」の歴史は最低でも60年以上なので、新しい練り製品とは言えなくなっている。
さて、「ちっか」は徳島市に行ったときに買うもので、どりらかというとハレの食べ物、「かつ」はいたって日常的なもので、ケの食べ物だった。値段も「かつ」の方が安かったはずだ。
今回、「かつ」をたっぷりいただいたので、懐かしい食べ方をしてみた。
徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町字町貞光町)は1950年代、60年代、県内でもっとも小さな町だったが、県西部では池田町、脇町とともに長い商店街があった。
日本中を回っているとわかることだけど、意外に長い商店街のある町は少ない。もちろん市なら当たり前だけど、町(市町村の)で、しかも小さな徳島県の中でも、もっとも小さな町域しかなかった貞光町に商店街があるのは不思議なことなのだ。
我が家は商家だったので朝はとても忙しい。1970年くらいまで、午前5時、6時くらいに山から下りてきた人に戸を叩いて起こされ、売る、なんてこともあった。
取り分け忙しいときには行商の菓子パンで済ましたり、冬は七輪が食卓脇にあったので餅を食べて学校に向かったものだ。
考えてみると寒い時季、餅と惣菜と紅茶もしくはコーヒー、お茶という朝ご飯は商家ならではのものだろう。この惣菜の中にかなりの確立で「かつ」が登場した。

そのまま食べても今の「かつ」なら充分うまい


七輪は当たり前だけど、餅や板粕(酒粕の板状のもの)、干しいもなどを焼いて食べるためのものだが、ある日、家族が唐突に「かつ」を焼いて食べ始めた。これがとても新鮮だった。
「かつ」は基本的にフライパンで温めて食べるものだ。温めて食べるとカレーの香りも強くなるし、表面のカツ(パン粉)がさくっとして、中の練り物が柔らかくなるのだ。ただ、炭火で焼いた「かつ」のおいしさには、間接的(フライパンをかいして)に温めたものとは違う風味があった。
この焼いて食べるのは家族で誰が始めたか? でケンカしたことがあるが、もちろんボクが考えたことではない。

ソテーするのが普通だけど、焼くとなおおいしい


久しぶりに、今回は魚焼きのグリルで焼いて食べてみた。
思った通り、フライパンで油を敷かないで温めたものよりもおいしい。
考えてみたら信じられないくらい昔に食べて以来の、焼いた「かつ」がこんなにうまいとは思わなかった。
思わず、今年も徳島の空白地帯を埋めに、帰ろうか? と思い始めた。


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