202005/20掲載
東京の湯豆腐にぶわだら
これでは「たらちり」ではないか

東京と茨城以北の太平洋側、特に宮城県との水産交流の深さを感じるのが「ぶわたら(塩蔵マダラ)」だと思う。
1970年代後半、学生時代に都内神楽坂で「湯豆腐」をお願いすると「ぶわだら」が入っていた。
これでは「たらの水炊き」ではないか? と西日本の人間には思えた。
例えば京都で「湯豆腐」は昆布だしに豆腐だけだし、大阪でも似たようなものだった。
今でも寒くなると関東の市場に「ぶわたら」の入荷が増える。
東京人は「ぶわたら」がないと冬を越せないのである。
「湯豆腐」に「たらちり」に、築地場内でも引っ張りだこの人気である。
あまり好きな言葉ではないが、「ぶわたら」料理は東京のソウルフードなのだ。
さて、その「ぶわたら」はどこから来たのだろう。
東京都内からみてマダラがとれるのは茨城県以北である。
明治時代・大正時代から1945年の敗戦後まで多くの水産物は鉄道で送られて来た。
茨城県・福島県のものは水戸に集まり、三陸のものは仙台に集まった。
そこを中継点として東京まで貨車で送られて来ていたのだ。
だから東京は常磐、東北との繋がりが深い。
ちなみに日本海ものでは東京と新潟県との繋がりが深いが、こちらのタラはマダラではなくスケトウダラである。
余談になるが明治期の『唾玉集』、斎藤緑雨に「仙台鮪」が出てくるのも、東北本線の開通で、宮城県の水産物が東京に送られ始めた証拠だと思う。
こんなささいなことからも、文字的な資料だけではなく、今季こそはマダラのフィールドワークをやってみないとダメだと考えた。