202501/27掲載
数え日の新潟旅 長野市一茶納豆、まあまあイケマス
雪国の人は強いな、ある意味一茶の句にも通じる

新潟旅といっても帰り道の、だ。妙高高原のスーパーで凄く元気なバアチャンに会った。
人が歩かないところにはボクのへそあたりまで雪が積もっている。
「歩いてきたんですか?」と聞いたら、「こんくらいの雪なら歩く歩く」と言わた。
高速に乗って一般道から離れようとしていた気持ちが、そのまま一般道という気持ちに変わる。
「峠越えて行きなさいよ(以上総て意訳)」
どれが峠なのかわからないまま、峠を超えたら同じスーパーがあって、帰宅時間を考えてすぐに食べられるものを買った。そこで見つけたのが「一茶納豆」である。
このスーパーのある長野県信濃町のものか、と思ったら長野市のものだった。
一茶の句は手放しで明るいとは言い切れず、人生は手放しで暗いと言い切れる

ちなみに信濃町柏原は一茶の生まれ故郷である。
江戸の文化史的において大きすぎる変化のあった明和・天明を一茶は生きている。
ただ、俳句というものは根強いとは思うものの、文化史の流れの中心にあったことはない。
いわば淀みではないかな?
山東京伝や平賀源内、太田蜀山人が大スターなら、地方だけで通用するクラスのスター、のようなもの。
ここにも正岡子規がいて、正岡子規のお陰でちょっとだけ日向に置かれた。
蕪村がある意味、京都にあって存命中から大きな存在であったのとは違い、日陰に生きる生命力の強いなにか、だ。
それに、あまりにも不幸な人生を思うと、俳句以外の一茶は考えたくもなし。