努力の末の小肌開きで作る天丼
小肌が開けるようになると魚屋も一丁前
八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産は若い衆ががんばっている。日々こつこつと地道な努力を重ねているのが頼もしい。
それが証拠に彼らが作るマアジや小肌(コノシロの若い個体)の開きがだんだん上等になってきているのだ。
せっかくなのでお昼ご飯に開きを買って来る。
本当は酢じめにすべきものだが、今回は天ぷらを作るつもりだ。
もちろん文字の世界ではあるが、この日のボクは脳みそが江戸の町に飛んでしまっている。川端の安い天ぷら屋台の情景を描きながら、大きさを揃えて袋に放り込む。
文字の世界のよいところは、前日まで1220年代、後鳥羽上皇の傍若無人から、その翌日には江戸時代後期の物価のこと、庶民の世界に迷い込むことができる、ことだ。
そのときボクは四文銭二、三枚を懐に、じゃらじゃらさせて歩く江戸の町民そのものになりきっていたのだ。
皮目を見えるように背を上にして盛ってみた
さて、やはりまだまだていねいさに欠けるので、しっかり成形して、形を整える。
軽く振り塩をして表面に水分が浮いてきたら拭き取っておく。
青みというか精進の種は栽培もののウルイしかないので、適当に切る。
あとは小麦粉をまぶし、やや薄めの衣をつけて高温で短時間揚げる。
ご飯を丼によそおい、軽く天つゆ(みりんを煮切り、醤油と合わせて少しだけ煮つめた単純なもの。カツオ節出しは使わない)を少しふり、天ぷらを並べる。
家庭で作る天丼は天ぷらを天つゆに浸すのではなく、ご飯の上に盛り、卓上で天つゆを振って食べた方がいい。
小肌の天ぷらのよさは皮に独特の風味、野卑な部分があるところである。
ときどきマダイの天ぷらなどを上等だという人がいるが、あのような隅から隅まで上品なものは天ぷらに向かない。
皮目の風味と身の豊かなうま味が揚げることでより強く浮き立ってくる。
高温で揚げた香ばしさもいい。
天つゆと合わせるとご飯が進む。
さて、残念なのが最近の小肌の高騰である。江戸時代にはもっとも安い天種だったものが、輸入もののエビの値段を遙かに凌駕しているのだ。
江戸時代、エビがもっとも上等の天種だったことを考えると、地位逆転である。
この高騰は、浅瀬にいる魚をとる漁師がいなくなったこともあるが、むしろ浅瀬を人間が触りすぎ(開発しすぎ)ているのが原因である。
そろそろ人間も、人間中心ではなく、生き物中心に物事を考えてはいかがだろう。