戦後が終わってカレーは国民食に、マースカレーの話
パッケージが昔のまま、そこがやたらにうれしい

スーパーに行くのも、ボクにとっては旅である。いろんな刺激があっちこっちから飛んで来る。
普段は行かない、駅前のスーパーに飲み物を買いに入ったら、懐かしすぎる「マースカレー」があった!
1945年の敗戦後、新しい家庭料理をこの国とGHQは国策として広めていた。中にカレーがある。このあたりに関しては小菅桂子の『カレーの誕生』に詳しい。
国民の体形の向上と主婦の家事負担の軽減である。当時、料理は主婦が作るもので、農家などで主婦はもっとも早く起きて朝食を作り、もっとも遅くまで家事をこなすのが普通だった。今でも昔の主婦はよく働いたものだ、なんて懐かしそうに言う愚か者がいるが、これは明らかな虐待である。
料理は「ご飯に一汁一菜」にしても、当座食べるものを作っていても手間がかかる。ライスカレーはそれだけで、ご飯であり、おかずであり、汁でもあり、と完結しているのである。
コロッケなどの戦前からのものではなく、戦後の新しい家庭料理の普及はちゃんとした目的があってのことなのだ。
中身もそのままで、マースチャツネ付き

初めてのカレーはたぶん3、4歳のときで、カレー粉で作られたもので、あまりの辛さに幼なじみと二人、布団にもぐり込んでもだえ苦しんだ。砂糖をいっぱいなめられた、ことだけがよい想い出だ。考えてみると、当時お砂糖をなめる、のは子供の夢に近いものだった気がする。しかも砂糖とサッカリンの違いが子供にもわかっていた。
この、1960年代には僻地である徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町貞光)にすら、国策としての新しい料理の波が押し寄せていたのだ。
この辛くて恐いカレーが、子供にとって待ち遠しいものになったのは、カレールーの登場だと思う。グリコ、ハウス食品、S&B、そして愛知県のオリエンタルだ。
「マースカレー」はコマーシャルが頻繁に流れ、南利明の名古屋弁が印象的だった。この人、有名(ボクの世代までの話だけど)な脱線トリオのひとりであり、確か、色川武大の書にも登場していたと記憶する。戦後を代表する喜劇人である。