202403/14掲載

福島県南会津町田島で茶漬け碗を買う

モダンなデザインに南会津田島の町の歴史が感じられる


ボクはからっちゃの息子で、よく近所のオッチャンに「からっちゃのおとんぼはできんぼでよ」と言われていた。訳すと、「からっちゃ」は「唐津屋」のことで、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)では食器店のことをこういった。この「唐津屋」が食器店である地域は広島県で見つけているが、ほかではあまり知らない。関東では「瀬戸物屋」だ。「おとんぼ」は末っ子のことで、「できんぼでよ」は訳したくない。そのせいとばかりは言えないが、やたらに器が好きだ。
ちなみにボクの町は小さな小さな徳島県でも、もっとも小さな町だったが、それでも時代の風を食器や雑貨に感じたものだった。だから旅に出て、食器店があったら必ず立ち寄る。食器店には時代の残り香のようなものがある。
福島県南会津町田島は四方を山に囲まれている。粉雪が舞い、四方の山から重い冷気がこの町に沈殿しているみたいだ。たぶん会津西街道だと思われる大通りを、西へ西へとずんずん歩く。この冷たさは四国生まれにはきつい。
食器店を見つけて一度通り過ぎた。本屋があり、造り酒屋があり、旅館があり、閉店しているもののたくさんの看板建築がある。町の端っこまでたどり着いて戻ってくる。食器店の看板に『ショップおおたけ』とある看板部分が比較的新しく万博以降(1970)であることがわかる。調べてみるともともとは『大竹陶器店』だったらしい。
歩いていたバアチャンに聞くと、この通りにはいくつもの食器や雑貨を売る店があったようだ。こんなところにも田島という地が周辺地域から買い出しにくる場所であったことがわかる。ここには会津祇園祭という大きな祭もある。商店があり、大きな祭がありで、周辺の山間部から人が集まってくる典型的な町だ。
確か、瀬川清子(偉大な民俗学者。1895〜1984年)は、千葉県久留里をその典型だとしていたはず。ボクの故郷も規模は小さいがそのひとつで、日本全国にこんな町がある。

薄手で軽く使い勝手のいい茶碗


『大竹陶器店』の店内を探検してみる。品揃えがよく、仕入れがとても上手であった模様で、欲しいものが少なくない。これも会津西街道の拠点であった田島という土地の、繁栄を感じさせてくれる。
我が家にないものでとても美しい碗があった。物静かな店主の方に聞くと「茶漬け碗」だという。話は逸れるが、店主の方には「昔、コイは食べていましたか?」とか、水産民俗学的なことも聞くことができた。
茶碗は2寸(6㎝)くらいの子供用のままごとのようなものからあり、4寸(12cm)が普通サイズなので、茶漬け碗の4寸半(13.5cm)は一回り大きい。

茶碗の中にも時代を映す鏡がある


この茶漬け碗は型物、印判ではあるが、とても薄手で藍の無国籍で上品な柄がついている。
ボクの家族曰く、1970年代くらいから家庭用食器は京に習って薄手になり、軽くなり、モダンで無国籍な柄が増えたらしい。
『大竹陶器店』の今の代も、先代もこのモダンな食器に時代の移り変わりを感じたはずである。
この薄手時代があり、また厚みを出すようになり、素材自体が軽くなる。器自体にも歴史がある


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