202311/08掲載

タキベラがなぜタキベラなのか、知っていますか?

国内一派手でまずそうな魚

タキベラの横顔

淡水魚からはじめて海水魚にまで勉強の範囲を広げたとき、まず気になったのは魚名である。1970年代の末、東京都千代田区神保町で、彼の渋沢栄一の孫で、民俗学・魚類学の世界では祖父以上に偉大な渋沢敬三の『日本魚名集覧』というのを立ち読みしては、呼び名・標準和名の不思議に魅了される。ボクは王道的な知識よりも脇道の方に惹かれがちである。
ちなみに生物の名は3種ある。
一、学名(世界共通の名でラテン語表記)
二、標準和名(国内で便宜的に決めたもので、特に魚類学も含めた生物学では必ず使わなければならないとするもので当然、日本語)
三、地方名(日本各地で使われているもので、その地での魚に対する考え方や価値観が込められている)がある。
時々、標準和名について正しい名とかいう人がいるが大間違いである。生物の名に正否はない。
図鑑1冊を丸暗記することから始めたとき、真っ先に頭に収納できたのがタキベラである。なにしろ見た目がド派手だし、キャプションを読むと大きな魚らしいとくる。ちなみに数年後、いざ手にすると、ド派手な魚だとわかっていながら現物のファンキーさにビックリしたし、食べたらとてもおいしかったので、その姿と味のギャップにもビックリした。でもどうしても、なぜタキベラなのかはわからなかった。
比較的生活環(一生)での生息範囲の狭い魚で、生まれた海域で一生を過ごし、国内では安定的に水温の高い海域にしかいない。
2010年になって増えた沖縄の高級魚、アカジンミーバイ(スジアラ)は例えば伊豆諸島海域や紀伊半島にはいなかったが、今や明らかに北上して定着している。対するにもともと伊豆諸島で極めて普通であるタキベラはほとんど生息域が変わらないため、本来沖縄の魚だったスジアラにより北に生息域を広げられてしまいそうである。
明治時代、動物学者(明治時代前半にはまだ動物学は分野化されていなかった。魚類学が独立するのは明治時代後期からだ)は日本中の動物の呼び名を集めることから、動物学の第一歩を踏み出す。呼び名がない物質(生物・動物)は存在しないためである。
特に魚は相模湾周辺と日本橋魚河岸で呼び名を集め、そこから標準和名を決めた。

かなり考えないと滝にたどり着けない

タキベラの滝

頑固に伊豆諸島までしかいなかったタキベラは、日本橋魚河岸でも見つけることができず、相模湾江ノ島・三崎にはいなかった。当然、呼び名が見つからない。呼び名が見つからない動物には新たに呼び名をつけるしかない。そうしないと動物学の世界に存在しないことになるからだ。
明治11年(1878)生まれで、国内で初めて魚類学者になった田中茂穂は、本種の標本を見て一生懸命に名を考えた。彼が伊豆諸島の呼び名、カチョウ(課長?)を知っていたのかどうかわからないが、ともかく創作意欲をかき立てて浮かんで来たのが「滝(瀧)」である。体の背の部分、ちょうど背鰭の真ん中あたりのつけ根から、滝が落ちているように思えてきたのだ。確かに田中茂穂の気持ちになって見てみると、滝だと言われると滝だし、黄色い点々は滝の飛沫に見えてくるから不思議である。
要するに魚の特徴ではなく印象でつけたことになる。
ベラというのは魚類学的にベラ科の魚だぜ、という意味で田中茂穂の創作ではない。
タキベラの話から逸れるが、田中茂穂はユメカサゴ、ヨロイアジなど魚名を印象にもとづいて命名することが多い。魚類学の書籍を古い順に並べて感じることだが、田中茂穂は次世代の、国内での魚類学の大成者である明治40年(1907)生まれの松原喜代松と、様々なバトルを繰り返したようだ。命名法でももめてしまい、また標準和名の決め方の原則がふたりともに曖昧だったので余計にこんがらがった。それが現魚類学者の負の遺産にもなる。

このコラムに関係する種

タキベラのサムネイル写真
タキベラGolden-spot hogfish海水魚。やや深い岩礁域、サンゴ礁域。伊豆諸島、小笠原諸島、硫黄島、静岡県土肥、和歌山県[串本]・南部、高知県、屋久島、・・・・
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