浜から山へ 新潟県出雲崎の浜焼き
米がとれない浜から、米がとれる山に売りに行く

「浜から山(里)へ」は水産流通の基本である。海でとれたものを塩をするか、焼くかして山に向かって売りに行くことでこの国の食料の循環が行われていたのである。
例えば塩をするか、焼くかしたサバ(マサバ)を山に運び、米や米ぬかと交換することで浜は糖質を補給していた。山の人は動物たんぱくを得られた。
この浜から山へ、山から浜へを考えていきたい。
新潟の浜では古くから魚を早朝から炭火で焼き上げ、山間部に運んでいた。
いったいどんな魚を焼いていたのか?
新潟市本町での、炭火に串に刺された光景は絵になるので、多くの書籍に写真はあるが、その魚の種類までは載っていない。農文協の聞き書きシリーズにもない。
1988年の『新潟料理 ふるさとの味』(桜井薫 新潟日報事業社)に〈イカ、サバ、カレイ、アナゴ、ギス〉とある。
それぞれスルメイカ、マサバ、マガレイ、クロメクラウナギ、ニギスである。
カレイは日本海側では青森県から富山県まではマガレイ、石川県、福井県がアカガレイだと思っている。
みな地先の浜でたっぷりとれていたものばかりである。
ちなみにマガレイを海辺の魚屋で焼いて売るというのは、新発田市や村上市にもある。
山形県でも同じである。
新潟市の浜焼きは、何度も買い求めている。
その光景以上に魅力的なのが、その香りである。
見ていると食べたくなのは、この香りのせいだ。
とても丸々一尾は食べられないが、冷めてもおいしいところも魅力である。
寺泊は今や観光地と化しているが、ここも浜焼きが有名である。
もうひとつの浜焼きの町が出雲崎である。
1980年代に二度も行って、二度とも買っているが、ただ単に買って食べただけで終わっている。
2004年にも浜焼きを買っているものの、なぜか画像がない。
残念なことに焼いている時間には一度も行き会わせていない。
4度目の出雲崎なので、今回こそは焼いているところを見てみたかった。
細長い出雲崎の海岸線の集落に沿って南北にバイパスが、しかも海側にできていた。
出雲崎の集落と狭い道は相変わらずつげ義春が好きそうな影の多い家並みで、一安心したが、こんな道路、ほんとうに必要なんだろうか?
いい道路を造ったら人が来る、そう思っているのは土建屋さんと行政、政治家だけだろう。
古い町並みを少し歩いてみたが、町は完全に寝静まっていて、車さえ通らない。
早朝から焼き始める、昔ながらの形を残している

さて初めて行ったときには、4、5軒あった浜焼きの店は、1軒だけになっていた。
(後で土日だけ焼いている店があることを知る)
暗い町並みに道を挟んで灯りがついている。
北に向かって右側でご夫婦が魚に振り塩をしている。
女性が左右の家を忙しく行き来している。
焼くのはまだだというので、少し時間つぶす。
午前5時くらいから振り塩をして、8時くらいには焼き上がる。
新潟市本町や寺泊は焼き始めるのがもっと遅い。
朝焼いて、山(里)に売りに行くという、本来の形をこちらの方が残していることになる。
焼き上がったときの香りだけでも、ごちそう

8時前、小雨降る寒い日で、中はとても暖かい。
タイル張りの焼き台の中に砂が入っていて、細長く炭が置かれ、左右に串に刺した魚が並んでいる。
目の前で、さば(タイセイヨウサバ)、赤魚(アラスカメヌケ)、イカ(スルメイカ?)、あなご(クロヌタウナギ)がいい香りを立てている。
ここに切り身カレイ(マガレイ?)もしくは丸のままのカレイ(マガレイ?)、ぎす(ニギス)、小鯛(種不明)、のどぐろ(アカムツ)が加わる。
マサバがタイセイヨウサバに、ウスメバルがアラスカメヌケに代わっているのは、致し方ないことだ。
焼き上がっている、「あなご」と「さば」を買った。