アルマイトの弁当箱に塩鰤2切れ
今どき、こんな貧相な弁当を持っていくなんてありえない
アルマイトの弁当箱に入ったご飯はやけにうまいという話をしたい。
我が家にあるアルミの弁当箱は2つ。ひとつはただのアルミで、アルマイトではない銀色のもの。
片方は大分県日田市の雑貨店で、昔、中学生(旧制で現在の高等学校)の学生が使ったというサイズのアルマイトだ。
165㎜・105㎜で深さが54㎜あるが、これ以上のも、もっと大型も昔はあったらしい。
買ってきて、ご飯をつめてビックリ仰天した。
言われた通りにぎゅうぎゅうにつめると1合半くらい入る。
ふんわりつめても1合で、おかず入れを脇に入れてふんわり詰めても、食堂の大盛りご飯以上だ。
ここで大問題が発生する。
ただのご飯なのにアルマイトの弁当箱につめるとず、ずーんとうまくなるのだ。
しかもふんわりつめるよりも、ぎゅうぎゅう詰めの方がおいしい。
昔、日の丸弁当(梅干しだけの弁当)なんて最低だ、と思っていたのは大間違いだったことに気づく。
ちなみにボクはあまり弁当経験がない。徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)の小学生は、お昼は家に食べに帰っていた。中学生の時は給食だった。高校生になると弁当を持っていくようになったが、ブックタイプというやつで箸箱が脇につき、おかず入れはパッチンとやるやつだった。
初めて松本周辺に行ったのが、1990年代。この時代、旧制高校に通っていた世代がまだずいぶん生きていた。
彼らは昭和2年から5年生まれで、アルマイトの弁当箱が高級品だった世代だ。
話をもとにもどすと、このアルマイトの弁当箱に、飛騨高山や松本市では正月明けに塩鰤を入れて持っていくのがステータスだった。
塩鰤が年取魚でもっとも高価だったためだ。
久しぶりに旧制中学弁当を再現してみた。
塩鰤だけでは寂しいので、梅干しにたくわんを加えたが、今どきこんな貧相な弁当を持っていく子供はいないだろう。
ただ、不思議なほどうまいアルマイトの弁当箱のご飯に、熟成して濃厚かつ強い塩味の塩鰤が入っていたら、きっとこの上のサイズの弁当箱でも食い尽くせるはずだし、実は途方もなくぜいたくな弁当だといえないだろうか。
これを食い切り、まだ胃の腑に余地があるのもアルマイト弁当箱マジックかも。
塩鰤は正月が明けたら、日々少しずつ食べるものに変わる
時期外れだけれど、北海道根室産のブリで、年取魚(大晦日から正月にかけて食べる魚)の塩鰤(ブリの塩蔵品)を作ったので、久しぶりに年取魚の弁当を作る。
1990年代半ばと、2014年、長野県松本市と岐阜県飛騨高山市で聞取したことの再現だ。
特に松本市では裕福な家庭では塩鰤を年取に食べ、塩鰤が買えない家庭では塩引鮭を買っていたという。松本市の年取魚はブリでもあり、サケでもあったことになる。
ちなみに、もっと貧しい家庭は煮イカ(スルメイカ)か、塩イカ(同)だったらしい。
両市の昔裕福だったという老人に聞くと、同じようなことを話していた。
「正月の塩鰤も嬉しかったが、中学に持っていく弁当に入っていた塩鰤がもっと嬉しかった」
塩鰤だけかどうか聞き忘れたので、ちょっと曖昧だが、焼いた塩鰤に梅干し、たくわんを添えてみた。