タナカゲンゲとは、いったい何だ?
日本海でいちばんデカくて変な顔で変な魚
【学者にとっても水産のプロにとってもちっとも珍魚ではないし、超深海や、南北両極にいるわけでもない。魚屋でもスーパーでもときどき見かける魚だが、目的の魚の隣にいて見向きもされなかったり、見た目が変なので普通の人にとっては珍魚だったり、何気なく見ていると普通だけど、よくよく見ると変で、ちょっとだけ珍しい、のを「隣の珍魚」という。「隣の珍魚」を知っているととても自然に優しいし、環境にも優しい。しかもちょっとだけ自慢できる!】
タナカゲンゲは国内では日本海の深場に生息している。珍しい魚とまでは言えないが、見た目が非常に変なのだ。顔つきが人のようだし、キツネとか耳の長〜い犬のようにも見える。しかも1m以上になり、やたらに大きい。大きくて変な姿なので思わず目が引き寄せられる。これはいったい「何だ?」と思わない人はいない、「隣の珍魚」だ。
一般的に考えると、日本海周辺では比較的普通の食用魚で、ちょっとだけ珍しいくらいなので「隣の珍魚」、太平洋側では「珍魚」である。ちなみに消費地でも関西の方が「隣の珍魚」的であり、関東では「珍魚」中の「珍魚」だと思う。
東京都内ではときどき珍魚大好きな魚屋が看板代わりに並べていることもあるが、極めて珍しいから大看板になる。
ゲンゲとは何だ? 下魚、下下、幻魚?
さて、タナカゲンゲ以前に、ゲンゲとはなんだ? から。先ずゲンゲとは、ゲンゲ科の魚たちのことである。細長くて、背鰭と臀鰭が長く尾鰭とは繋がっていて、腹鰭が極端に小さかったり、なかったりすることが特徴だ。
ときどきスズキの仲間(スズキ目)という人がいる。その言い方をすると本種もスズキの仲間だ。ただ、これでは魚の仲間、というのに等しくなにがなんだかわからない。スズキの仲間は魚として進化が進んだもので強靱な体と棘を持つが、それこそ膨大無辺とも言える種が存在する。
あえていうとその下の階級ゲンゲ亜目の仲間だが、これでわかる人は地球上にほとんどいないだろう。だからテレビなどでは比較的無難なスズキの仲間という言語が飛び交うことになる。
本種のゲンゲ科には信じられないくらいたくさんの種が存在する。でもこの科には一般的な食用魚はごくわずかなのだ。その上の階級、ゲンゲ亜目まで広げるとちょっとだけ名の知れた食用魚がいくつかある。オオカミウオ科のオオカミウオ、ボウズギンポ科のボウズギンポ、高級すり身の材料として有名なタウエガジ科の「わらずか(ナガズカ)」、高級天ぷら種のニシキギンポ科のギンポなどだ。
ちなみにこのゲンゲ亜目の有名どころを、1種類でも知っている人はこの国の人口の1パーセントすらいないと思っている。
注■階級の一覧、上から界→門→綱→目→科→属→種だ。亜は例えば科とも言えず、されど属のように小さな生物群(同じような姿形遺伝子を持った生物の集まり)ではないという中間の階級で、将来は消滅するか、上の階級に昇格するか、する。
この細長くて鰭も長い魚であるゲンゲの「げんげ」は、もともとは「下魚」から来ている気がする。ぬらぬらとして水っぽいのが多く、とれても捨てる魚とか、売れない魚だ、という意味だ。この「げぎょ」が「幻魚(げんぎょ)」、「下下(げんげ)」に変化する。
ゲンゲ科でいちばん有名なのは秋田県で「氷魚(すがよ)」、新潟で「げんぎょ」、富山・兵庫で「どぎ」と呼ばれるノロゲンゲである。最近では関東にもたびたび入荷を見る。次いで多いのが本種、その次が三陸などで上がる、シロゲンゲ・カンテンゲンゲだけど、全部が全部マイナー魚である。
地方名にも変な名があり、田中さんのタナカゲンゲも変
このタナカゲンゲの地方名を挙げると。
福井・京都・兵庫などの「狐(きつね)」。北海道・富山の「何だ?(なんだ)」。鳥取の「鱠(なまず)」、兵庫・島根などの「婆(ばばあ)」。などなどだけどみな変な呼び名ばかりだ。
余談だが、魚の標準和名(名前)は実際に使われている呼び名から採用する、のが原則だった。とすると本種も上のいくつかの中から選べばいいはず。実際、タナカゲンゲの田中さんである田中茂穂(1878-1974 魚類学の父とされる)は、標準和名を福井から山陰で使われていた、キツネダラにしていた。
ちなみに本種の学名を考え記載したのは田中茂穂が留学していたアメリカスタンフォード大学の魚類学者、ジョーダン(アメリカ。ジョルダンとも。1851-1931)とトンプソン(1888-1865)である。
日本列島の魚類を国際的に記載したメッカのような場所がある、19世紀、シーボルトが持ち帰った標本のあるオランダと、田中茂穂が日本の魚類を目録化し送ったために大量記載したアメリカ、スタンフォード大学だ。
この田中茂穂の目録化した魚類の多くは出版され、記載されたが、実際に国内の標本を集め研究した田中茂穂の名が、論文にも学名にも載っていないのだ。ジョーダンが犯人とは限らないが、明らかに人種差別の臭いがする。学名、Lycodes tanakae の田中茂穂に献名された小種名、tanakae にはそんなジョーダンの罪の意識を感じてやまない。
そして、キツネダラとしようとした標準和名をタナカゲンゲにしたのは、そんな悔しさを感じていた、田中茂穂以後の国内の学者だと思われる。
鍋や汁にすると最上級の変顔魚なのだ
長すぎる余談になったが、初めて食べたのは鳥取県で、初めて食べてからずーっと好きな魚だ。今年になって3回も購入している。中でも新潟のスーパーのものは鍋材料用にていねいな処理がなされていた。実に上質でうまかった。
産地で話を聞けそうな方がいたら、できるだけつかまえて話を聞いているが、新潟県のスーパーの仕入れをしている人曰く、徐々に買っていく人が少なくなっているという。すぐに料理できるようにパック詰めしても売れないことがあるらしい。当然、こんなにおいしい魚なのに水揚げ港でも競り値は安い。
これなど至って普通の食用魚が「隣の珍魚」化している例だろう。
底曳き網で揚がる大型魚であり歩留まりがよく、鍋などにするとやたらにうまい。もっと食べて、せめて産地である日本海では「隣の珍魚」ではなく、普通の食用魚であって欲しい。