米沢でわざわざ作っている昔ながらの「塩がつお」
塩かつおの消費地、山形県米沢市は山の中の古き城下町
福島県から山形県の、太平洋側と日本海側のど真ん中を走る尾根に、比較的大きな盆地がぽつんぽつんとある。そのひとつに米沢市はある。伊達家、上杉家と有力大名が藩主となるくらいなので、稔りがよく、戦国時代には重要な拠点であったはずだ。
この本州東北地方の真ん中に点在する町の産物は非常に面白い。米沢織があり、食べ物では山菜、コイが有名である。東に三陸、西に越後と水産物も東西から送られて来たに違いない。
米沢市には地方公設市場がある。ここにある『かねしめ水産 ケーエスフーズ』で作っているのが「昔ながらのしょっぱい塩がつお」である。
東北地方太平洋側ではとれたカツオに塩をして、山間部に送っていた。その終着点のひとつが米沢であったのだと思う。
ちなみにこの国では長い間、魚介類を生で山間部に送ることは出来なかった。
1925年昭和になり、1950年代高度成長期になってもこの国のコールドチェーン化(生鮮品の保冷しての流通)は進んでいなかった。1960年代になって初めて一般家庭で冷蔵庫が普及し始め、魚介類の水揚げから流通、販売、消費まで通しての保冷・冷凍技術が確立するのは1970年代になってからだという人も少なくない。
当然、三陸ではコールドチェーンが確立するまで、カツオは節加工するか、塩蔵して出荷していたのだ。
この産地から来ていた「塩かつお」の、塩分濃度が年々下がるとともに、入荷量が減ってきた。
そんなとき消費地である米沢で作り始めたのが、この塩分の非常に高い「塩かつお」である。
世の中が減塩減塩と騒ぎ、加工品全体の塩分濃度が下がる中、米沢近郊ではまだまだ塩分濃度の強いものが好まれていた。
このように本来魚介類の産地で作られていた加工品が作られなくなり、消費地で作られるようになる例は少なくない。
焼くと吹き出る塩の花に、昔の塩かつおを思う
宮城県気仙沼市で「カツオの塩引き」、石巻市で「かつおのだぶ漬け(カツオのだぶ漬け)」と呼ぶ、カツオの塩蔵品の名が米沢市で「塩かつお」に変わるということ自体も面白い。
『かねしめ水産 ケーエスフーズ』の「昔ながらのしょっぱい塩がつお」は焼くとただならぬ多さの塩の花が吹き出してくる。
口に入れると、非常に塩っぱいがその後からカツオの持つ酸味と渋味、うま味の凝縮したものがくる。