文化

1960年代半ばまで貞光川で子供がやっていた「そろ」を使った魚とり

「そろ」という道具について


徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町貞光町)で「そろ」と呼ばれていた竹製の道具がある。同地では子供がジンゾク(カワヨシノボリ)などの小魚をとる道具であった。筆者が4、5歳くらいから小学校低学年くらいまで魚とりに使っていたが、これが同町では当たり前のことだった。
また著者の家は荒物雑貨などを売る商店だったが、「そろ」も商品として売っていた。我が家の商圏は現つるぎ町と美馬町(現美馬市美馬町)なので、「そろ」という言語は最低でも美馬郡全域で使われていたのだと考えている。
写真は大分県日田市で購入したものだが、「えびしょうけ」という。これが我が故郷の「そろ」だ。
古く「笊籠」を「そうり」と呼んだという。北陸・西日本で「そうけ」、「そーけ」、九州で「しょうけ」、「しょけ」、沖縄で「そーき」、「じょーき」という。「そろ」は、北陸・西日本の「そうけ」、「そーけ」の変化のひとつだと思われる。
以上は、すべて笊(ざる)の呼称で、竹で編んだ容器の総称でもある。丸いものを盆笊、とか四角いものを角笊とかいうし、大型の箕(み)もある。水を切ったり、作物を入れたり、運んだりする。
「そろ」は非常に頑丈で1960年前後には土木作業のじゃりを運ぶのにも使われていた。手を入れる四角い穴があるのも特徴である。
九州大分県日田のものは、貞光町のものとまったく同じものである。「えびしょうけ」は「エビをとるための笊」という意味だろう。
貞光町では「そろ」というが、同鷲敷町(現那賀町)南川・中山川周辺では「つつみ」と言う。
徳島県阿南市羽ノ浦町古庄では「米けんど」というのかも知れない。
羽ノ浦町では盛んに淡水魚を食べていて、岸辺の葦の間にいる魚をすくうのに使用していたようだ。
貞光町ではもっぱら子供の漁具であり、大人が魚をとるために使っていたという記憶がない。とった淡水生物は家庭によっては食べていたのかも知れない。「そろ」でとれる魚を鶏の餌にしていた家もある。
羽ノ浦町では用水路のエビ(テナガエビもしくはスジエビ)、フナなど小魚をとり、食用としていた。子供が使う漁具でもあっただろうと思うが、大人が日常の食べ物である淡水魚をとる漁具でもあったのだ。
参考文献/『民具の事典』(監修/岩井宏實、編/工藤員功、作画/中林啓治 河出書房新社 2008)、『聞書き 徳島の食事』(農文協)

ブリキのバケツと「そろ」を持って川に


我が家から吉野川水系貞光川までは10分足らずで行けた。源流は剣山系丸笹山(1711m)でつるぎ町一宇、端山、貞光に下り、貞光で吉野川と合流する。貞光川の合流地点は、吉野川の中流域にあたる。旧貞光村である市街地は貞光川でも下流域に当たる。
この地域でもっぱら食用となっていたのはアユとアメゴ(アマゴ)で、ウナギすらあまり頻繁には食べていなかったと思う。
少し温かくなると夏休みを待てずに、川に入っていた。手にブリキのバケツと「そろ」を持ち、足元はサンダルではなく「せんにち」と呼ぶゴム草履を履いていた。
少し大きくなると水中眼鏡と小型の手網(たも)、「かなつき(鉄突き。銛)」に変わった。
幼児の頃は潜水橋である長橋から上流域・下流域の周辺で魚とりをはじめ、やがて下流域である貞光橋から下手にも行くようになる。
また長橋の上流に当時は木の橋だった八幡橋(今は潜水橋)がかかる、じょじょにその上流にも行くようになる。
川ではエビ(ミナミヌマエビ)、ウナギ(ニホンウナギ)、ゴマウナギ(オオウナギ)、ガナッチョ(ギギ・アカギギ・オイシャハンとも言った。アカザ)、ギギ(黒ギギとも。標準和名もギギ)、ジンゾク(カワヨシノボリ)、大きいジンゾク(オオヨシノボリ)、カワドジョウ(ニシシマドジョウ)、エッシュウ(エッシュとも。カマツカのこと)、ジャコ(オイカワ)、イダ(ウグイ)、ヤマトバイ(カワムツ)、ツチクイジャコ(タカハヤ)、フナ(ギンブナ)、用水路ではナマズがとれた。
我が家では食用にも鶏の餌にするでもなく、ただただ遊びであった。たぶん同じ町内でもジンゾクやエッシュウは食用にしていたのだと思う。子供が「そろ」でとったものを鶏の餌に使う家もあった。
子供の魚の記憶には、記録に残らない情報がいっぱい含まれている。
他には、この比較的流れのある川と歴史的に新しい用水路しかない吉野川右岸の貞光にはメダカがいなかった。これが対岸の美馬町に行くと用水路にたくさんいる。ただし対岸の川は天井川で淡水魚といえばタカハヤくらいしかいなかった。また1970年頃まで貞光川にはニゴイがいなかった。

石のそばに、葦などの近くに「そろ」を沈めて

そろで魚をとる

石やアシ(葦)、ネコヤナギの白く長い根のそばに「そろ」を沈め、足で魚を「そろ」の方に追い立てる。
「そろ」と川底や護岸との間に隙間ができないようにするのがコツであった。

魚が入ったら大急ぎで「そろ」を上げる


魚が入ったら間髪を入れずに揚げる。
魚は回れ右して逃げたり、手を入れる空いた部分からすり抜けたりする。

ジンゾクからゴマウナギまで年齢ごとにとるものが替わる


子供が生まれて初めて「そろ」でとるのはジンゾクと、ガナッチョ(アカザ)である。
ジンゾクには2種類いて比較的下流域にいるのがカワヨシノボリ、やや上流にいるのがオオヨシノボリである。カワヨシノボリは石の下にもいたし、川を歩くと逃げるその様が、まるで無数の小石が動いているようだった。ときどきカワヨシノボリにオオヨシノボリが混ざって石の上にへばりついていることがあるが、大きなオオヨシノボリはめったにとれなかった。
ガナッチョ(アカザ)はジンゾクと同じくらいたくさんいた。夜行性で昼間は動きがとても鈍く、泳いでいるのをすくえる唯一の魚だった。7月になると生まれて間もない幼魚が石の下などに隠れている。石を動かすと幼魚が四方八方に逃げるのが、線香花火の火の粉のようだった。
鋭い棘があり、ときどき刺される。痛いが我慢できないほどではない。ガナッチョに刺されることも一人前の子供になるための階段のひとつだった。
子供にもガナッチョとギギは同じ仲間だとわかった。ギギは大きい割りに動きが悪く、バケツに入れるとすぐに死んでしまう。「食べたらうまいんじゃ」とボクに話してくれた老人がいたのを覚えている。
カワドジョウ(ニシシマドジョウ)は非常に動きが速く、白と黒の体色の残像だけを残して逃げていく。なかなか「そろ」ではつかまえることが出来なかった超難敵だった。我が町では食べなかったと思っている。
ウナギ(ニホンウナギ)の全長20cm前後はやたらにいて、一日川にいるとバケツの底が見えなくなるほどとれる。子供の時、親ウナギは一度もつかまえていない。
ゴマウナギ(オオウナギ)は一度だけすくったことがある。とれたら近所の大人が聞きつけて、「病人がいるから欲しい」と言われて、家族が渡しているのを見ている。非常に珍しいもので小学校の校庭の溝で級友がつかまえた大きな個体(1m以上)は新聞に載った。
ジャコ(オイカワ)は「そろ」でもとれるが釣りの対象であり、子供にとっては手づかみでとることが多かった。
イダといっても成魚ではなく若い個体の全長15cmくらいは「そろ」でもとれた。
フナ(ギンブナ)は田の用水路や貞光川でも河口付近のごく狭い水域でみられた。少し年長になってから行けるようになったところで、用水路の出口付近には信じられないくらい群れていた。
ヤマトバイ(カワムツ)は1970年くらいから見かけるようになった魚で、「そろ」ではすくっていない。手網か釣りかでとっていたが、産卵期の青と赤の派手派手しさと馴染みのなさからオイカワのように食べる人はいなかった。
ツチクイジャコ(タカハヤ)は大水の後などでとれた。たぶん谷川などにいたのが川まで流されて来たものだろう。めったにとれないので、「(もちろん違うが)これマスじゃろう?」などと話していた記憶がある。
ナマズは川にもいたが下流域の砂防ダムの隙間にいて、非常に希に小さいのがとれた。これも下流域の水路の出口付近に多かった。夜行性なので出合えなかった可能性がある。
協力/槌谷海智さん(徳島県美馬郡つるぎ町)


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