ぼうずコンニャクの日本の高級魚事典
魚通、釣り人、魚を扱うプロの為の初めての「高級魚」の本。
美味しいマイナー魚介図鑑
製作期間5年を超す渾身作!

すし図鑑
バッグに入るハンディサイズ本。320貫掲載。Kindle版も。
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[美味しいマイナー魚介図鑑]の文庫版が登場

すし図鑑ミニ ~プロもビックリ!!~ すし図鑑が文庫本サイズになりました。Kindle版も。
からだにおいしい魚の便利帳
発行部数20万部突破のベストセラー。

イラスト図解 寿司ネタ1年生 イラストとマンガを交えて展開する見た目にも楽しい一冊。
全国47都道府県 うますぎゴーゴー!
ぼうずコンニャク新境地!? グルメエッセイ也。

更新情報など

最新コラムより

料理法・レシピ 

スルメイカとセロリは出合いのもの

いきなり横道に逸れるが、2023年は体調不良などなどで、あまり魚介類料理が作れなかった。それでもサムネールを数えると1522も作っている。今年はこのままいくと2000を越えそうである。だからこのコラムは年間料理の2000分の1となる。
さて、八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産で日本海産スルメイカを買った。定期的に買っているのは㎏単価の変動を知りたいからだ。ついでにいうとスルメイカは多様な料理に使えるので、いくら買っても無駄にならない。
やはり㎏単価は2000円近いんだなと思い2月は逃げた。3月も半ばの月曜日、八王子綜合卸売センター、八百角でセロリの特売を見て、ここ1週間スルメイカを買っていないことに気がついた。
スルメイカとセロリは「出合いのもの」なのだ。急いで舵丸水産にもどってスルメイカの袋を下げて、八百角でセロリのデカイ株をかかえて帰宅した。
神保町の古書店、悠久堂で辻嘉一の懐石本を手にしたのは、まだ学生の時だった。本の背で買っていたときで、そのときボクは古本の相場を知らなかった。しかもその道の専門店で買うのは死に物狂いで探しても見つからないときだけだ、ということなど、もっと知らなかった。
鉛筆書きの値を見て、迷った末に買った記憶があるので、高かったのだろう。辻嘉一の懐石本によく登場した言葉が、「出合いのもの」である。茶懐石の世界の言語ではないかと思っているが、原典が見つけられていない。ちなみに茶懐石・茶会記の書籍は今だにとても手の届かない値をつけている。
「出合いのもの」とは、一緒に料理して「相性のいいもの」という意味だけど、ここに季節感が込められている。自身はないが、セロリの旬は春だったはずだ。八百角の特売にピンときたボクも捨てたものではない。
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コラム 

東京都大田市場関連棟で菓子パン

市場の関連棟は楽しいという話をば。
市場に必ずあるものが関連棟である。もうかれこれ半世紀近く市場を歩いているが、鮮魚でも、青果の仲卸であっても、歩いているときは全身の神経を、並んでいるものに集中しているので非常に緊張している。がっちがっちになっているので、歩いた後の疲労感は生半ではない。
対して関連棟歩きのときはゆるゆるほんわかなのだ。
ちなみに豊洲市場でもそうだが、一般客でも関連棟なら買い物が出来ることを知って置くといいだろう。豊洲などどうみてもプロ以上に一般客向けに変化している気がする。初めての市場に行くと、必ず関連棟の場所をまず確かめておくといいだろう。
市場の関連棟は、あまりいい言い方ではないと思っているが、いまだに「昭和」である。マスコミなどでも昭和、昭和と騒がれているので、関連棟に紛れ込むことも立派に観光なのかも知れない。
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コラム 

オキヒイラギ、久しぶり!

東京都大田市場、フーディソン大田 魚ポチで千葉県産オキヒイラギを発見した。千葉県なので「ぎら」というべきかも知れない。
本州から九州までの沿岸域に生息するもので、汽水域にも入り込むヒイラギとは兄弟的な存在である。
ヒイラギが陸(おか)からの投げ釣りなどにもくるのにたいして、やや沖合いにいて底曳き網、定置網などに入る。ヒイラギは鮮魚として、煮つけや刺身などになるのに対してオキヒイラギは小さすぎるので、主に加工品になる。
地味だけど、未利用魚のひとつである。利用するところと、廃棄するところとがある。現在のように魚価が労働の対価に対して低いとき、このような選別に時間がかかる魚は捨てられがちなのである。
鮮魚ではめったにやってこないので、貴重である。
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コラム 

喜多方市で喜多方ラーメン(?)を食べる

会津・越後の旅の初日、福島県喜多方市に宿泊することにしたのは偶然である。雪国の寒さに限界を感じホテルを探し、その挙げ句、市内のホテルに行き当たっただけ。ついでに言えば、ラーメンは好きだけど、それほど興味があるわけではない。
会津若松市(会津の中心)は蘆名氏、伊達氏、蒲生氏郷などがいて中世史に何度も登場する。平安時代の貴族から武士(輸送業者)への土地支配の歴史からも重要だと思うが、喜多方は歴史も産業も勉強不足のせいかてんでわからない。
さて、夜の喜多方で軽く飲んだら眠くなり、湯船に入ったところまでは記憶にあるが、ベッドにもぐり込んだ記憶すらない。しかも翌朝目覚めて時計を見ると、なんと午前6時を過ぎていた。熟睡10時間余りはボクの年では危険だと思う。
ホテル飯は食わないので、猪苗代への道を角を1本曲がり曲り間違えたら、いきなりC(青)×M(マゼンタで赤)ではなく、C×Y(黄)色の暖簾が目に飛び込んできたのだ。東京ののれんの基本色はC×Mだ。東北地方ののれんの特徴は色が多様だということ。食文化を探す旅では、のれんの色だけを見て回っても充分楽しめる。青森県ではY100×C30なんてのもあったはずだ。
このとき午前7時15分過ぎで、やっていなくてもいいや、と思ったらやっていた。店に入ったらビックリするほど、粗野な店だった。逃げようとして、そこにいたオバチャンの雰囲気で逃げられなかった。詳しくは述べぬが、やって来たコップにはラベルがついたままだった。
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コラム 

小田原水揚げ相模湾二宮定置、イボダイ2尾を食べ比べる

神奈川県二宮町で料理店を営む、Kai君(ボクと比べると遙かに若いので「君」でもいいかな)にイボダイを2尾、いただいた。ありがとう。
大小あり、大は野締め、小は活け締めである。そう言えば、最近、小田原ではいただきものが多いので、ほとんどお金を使っていない。
Kai君、二宮定置のみなさん、小田原魚市場の方々、買受人の方々には、まことに感謝しておりまする。
野締め、活け締めを食べ比べてみて欲しいということで、2日間にわたり、刺身で食べてみた(画像は2日目)。
ちなみにボクの故郷徳島県人はやたらに「ぼうぜ(イボダイ)」が好きだ。姿ずしなど名物でもある。
東京で魚を調べ始めた頃、いちばん不思議に思ったことは、東京都内ではイボダイを生では食べないし、干ものがメインだということだ。
刺身を出している料理店もあるが情報社会の今でさえも少数派である。
すしダネにもするが、必ず酢で締める。当然、漬ける店もごくわずかである。
神奈川県でも相模湾・三浦半島周辺では生で食べるが、横浜以北ではあまり生では食べない。
だいたい、関東ではイボダイではなく「えぼだい」と呼ぶ。「干ものの魚ね、」とわかっている人などいい方だと思う。スーパーに並んでいても気づかない人もいっぱいいる。
また、北海道から九州までの沿岸域に生息しているが主産地は西日本だ。ただし、東京豊洲市場で、相模湾産イボダイは群を抜いて評価が高いのである。
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コラム 

東京都大田市場、TSUKASAで市場飯

東京都大田区東海、大田市場でうんとうまい市場飯を食らった。市場飯は「食す」でも「いただく」でも、「食べる」でもなく、「食らう」のである。野生を取り戻し、がっついて食ってこその市場飯だ。
くどいようだが、市場の旅につきものなのが市場飯である。ほぼ47都道府県の市場飯を食べているが、過酷な市場巡りの後の「食い気」は年をとっても衰えない。
いきなり寄り道になるが10年以上前、重い荷物を持っていたらターレーに乗った若い衆が正門まで乗せてくれたことがある。途中で「飯を食おうか」と言って、一緒に行ったところが「吉野屋1号店」だった。単純に「大盛り牛丼の汁だく」にみそ汁だった。この店員さんも、仲卸の社長クラスですら、「水産物飯」ではない。社長クラスが築地時代に連れて行ってくれたのも、中華だったり、恐るべきことに焼肉だったりした。
間違いなく真の市場人で魚介類を食う人は少ないと思っている。さかな、さかな、と市場に来る人は9割方観光客だろう。これなど豊洲市場の千客万来というぼったくり飯を見ても明らかである。
ボクも自宅では年間1500以上の魚料理を作って食べているので、市場に行ったときくらい魚は避けて通りたい。だいたい仕入れ値がわかる人間なので、向こうもイヤだろう。
ただし、カネ十のトッツァマみたいに、年がら年中『い和多』の日替わり弁当ってのもイヤだけど。
大田市場には有名なすし屋もあり、人気の海鮮丼を出す店もある。こんなところにも行ったことはあるが、基本はそば屋か中華にしている。
ちなみに大田市場の関連棟はとても面白いのである。今回は魚を持っていたのでやっちゃ場には行けなかったが、市場の水産棟よりも、青果や脇の関連棟での時間が長かったりする。
今回、そば屋にするか、中華にするか、迷って右往左往し、結果、中華の店『つかさ』にした。決め手は客の数である。客が出ていったと思ったら、すぐに後から客がくる。行列の出来る店なんてエンガチョーンで、この程度がいちばんいいのだ。
入ったら間違いなく家族経営の店だった。大田市場では過去にも中華を食べているが、店の名前はおぼえてない。
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料理法・レシピ 

最高にうまい刺身を凌駕する、イシダイのバター焼き

相模湾でイシダイは、3月から4月いっぱいまでまとまって揚がる。この大どれと旬と重なる。
これは全国的な傾向なので、神奈川県だけでなく日本全国がイシダイの食べ頃を迎えているのだ。
神奈川県小田原でも当然の如くイシダイが大漁である。扱いきれないくらいの量が揚がると漁師さんなどはてんやわんやで大変なのである。
イシダイのすごいところは、形がいいと、どんなにとれても、買い手がいることだ。
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料理法・レシピ 

和歌山の美トンボの素焼きポルトガル風?

和歌山のドラマー、御所豊穂さんに美トンボを送って頂く。
今流行りの少年隊とか、ボクが唯一ちゃんと見る番組の鈴木愛理のような、といったらいいだろうか、全長50cm弱のとても美しい個体である。ピチピチしている。
ちなみにマグロ類の若い個体を探している。今回のは2歳だが、できれば、1歳、0歳も欲しい。
以上の続きの続きである。
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わずかに残っていた雁木
コラム 

十日町市でコイに振られ、城之古青菜を発見

ボクの旅は、昔ながらの食文化を探す旅なので、ある意味特殊である。少数派という以前にひょっとしたらボク一人っきりの旅の形かも知れない。
水産物だと、例えば山間部に行ってフグを食べたり、輸入ものの水産物などは食べたくない。できる限りその地を感じるものを食べたい。我が故郷、徳島でキチジ(キンキ)が出て来たときには思わず涙が出そうになった。そんな不愉快な眼にはもう二度と会いたくない。
新潟県は淡水魚食の盛んなところである。特にコイとフナは非常によく食べていたことが文献ではわかっている。
十日町市で十日町市らしいといえばコイとそばと野菜、保存食ではないかと思う。
ついでに少しくらいは雁木(商店などの前に見られる雪よけのひさし)があるだろうと思って行ったものの、「明るい未来を感じていたときの遺産」、アルミ製のものに取って代わられており、ほんのわずかしか残っていなかった。しかも、コイは店が定休日らしく食べられなかった。
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コラム 

アブライカのムニエルでサンドイッチ

愛知県蒲郡市の三忠(愛知県蒲郡市)さんが、見つけて送って頂いた。それをボクに伝えてくれたのが星野健一郎さん(株式会社フーディソン)である。
アブライカはスルメイカなどに近い種ではあるが、非常に生息域が広く、記載に使った固体はハワイで揚がった模様である。
国内海域では定置網や底曳き網にぽつんと混ざる程度。まとまって手に入れるのが難しい。
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コラム 

福島県南会津町田島で茶漬け碗を買う

ボクはからっちゃの息子で、よく近所のオッチャンに「からっちゃのおとんぼはできんぼでよ」と言われていた。訳すと、「からっちゃ」は「唐津屋」のことで、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)では食器店のことをこういった。この「唐津屋」が食器店である地域は広島県で見つけているが、ほかではあまり知らない。関東では「瀬戸物屋」だ。「おとんぼ」は末っ子のことで、「できんぼでよ」は訳したくない。そのせいとばかりは言えないが、やたらに器が好きだ。
ちなみにボクの町は小さな小さな徳島県でも、もっとも小さな町だったが、それでも時代の風を食器や雑貨に感じたものだった。だから旅に出て、食器店があったら必ず立ち寄る。食器店には時代の残り香のようなものがある。
福島県南会津町田島は四方を山に囲まれている。粉雪が舞い、四方の山から重い冷気がこの町に沈殿しているみたいだ。たぶん会津西街道だと思われる大通りを、西へ西へとずんずん歩く。この冷たさは四国生まれにはきつい。
食器店を見つけて一度通り過ぎた。本屋があり、造り酒屋があり、旅館があり、閉店しているもののたくさんの看板建築がある。町の端っこまでたどり着いて戻ってくる。食器店の看板に『ショップおおたけ』とある看板部分が比較的新しく万博以降(1970)であることがわかる。調べてみるともともとは『大竹陶器店』だったらしい。
歩いていたバアチャンに聞くと、この通りにはいくつもの食器や雑貨を売る店があったようだ。こんなところにも田島という地が周辺地域から買い出しにくる場所であったことがわかる。ここには会津祇園祭という大きな祭もある。商店があり、大きな祭がありで、周辺の山間部から人が集まってくる典型的な町だ。
確か、瀬川清子(偉大な民俗学者。1895〜1984年)は、千葉県久留里をその典型だとしていたはず。ボクの故郷も規模は小さいがそのひとつで、日本全国にこんな町がある。
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コラム 

和歌山の美トンボのポキ丼は簡単しかもうまし

和歌山のドラマー、御所豊穂さんに美トンボを送って頂く。
今流行りの少年隊とか、ボクが唯一ちゃんと見る番組の鈴木愛理のような、といったらいいだろうか、全長50cm弱のとても美しい個体である。ピチピチしている。
ちなみにマグロ類の若い個体を探している。今回のは2歳だが、できれば、1歳、0歳も欲しい。
以上の続きである。
マグロ類の小型は江戸時代には高級魚だった可能性が高い。よく、「マグロは安かった」とあるが、この場合の「マグロ」は比較的大形のクロマグロのことで、現在の2㎏、3㎏、あえていうと10㎏以下のメジサイズは決して安くはなかったのだ。
天保期に江戸の魚河岸に大量のマグロが水揚げされるという異変が起こった。このときマグロが暴落する。とても堅実な、ある意味ケチで有名な、南総里見八犬伝を書いた滝沢馬琴が2尺のマグロを買っている。このサイズは江戸時代には「まぐろ」ではなく「めじか」と呼ばれるサイズで江戸っ子好みだったのだ。
この小型のマグロ類は決してまずくはない。脂はないけど味があるのだ。ついでにビンナガマグロはクロマグロよりも水っぽく柔らかい。「水っぽい=まずい」という短絡的なことを言う人がいるが、明らかに無知だと思う。水分が多くても味のいい魚は少なくないのだ。
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コラム 

福島県南会津町で食文化を探す旅

福島県南会津町田島は2006年までは田島町であった。市町村合併はもともと大嫌いだけど、それにしても南会津町の合併は無理があると思う。1718あるとされる市町村の中でも45番目に広く、886.47㎢もある。ボクの生まれた徳島県美馬郡つるぎ町は194.8 km²なので4倍以上だ。
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