イボダイ
代表的な呼び名エボダイ
25cm SL 前後になる。楕円形で皮膚が薄く、外部から筋肉が浮き上がって見える。鱗が剥がれやすく、円鱗。目の後ろ肩の部分に黒い斑紋がある。
魚貝の物知り度 | ★★★ 知っていたら通人級 |
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食べ物としての重要度 | ★★★★ 重要 |
味の評価度 | ★★★★ 非常に美味 |
分類 | 顎口上綱硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭区棘鰭上目スズキ系スズキ目イボダイ亜目イボダイ科イボダイ属
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外国名 | Pacific rudderfish, Butterfish
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学名 | Psenopsis anomala (Temminck and Schlegel, 1844)
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漢字・学名由来 | 漢字 疣鯛。 由来・語源 東京での呼び名。発音的には「エボダイ」となる。東京の市場などで「えぼだい」と呼ばれていて、〈えぼ〉は江戸時代以来江戸の街での〈い〉を〈え〉と発音するため、〈いぼ〉のこと。これを標準語的な発音に変えた。イボダイに買える必要性はなかった気がする。 ■ 灸のただれたものを「疣生(いぼお)」という。イボダイの鰓の後方にある黒い斑紋を「灸痕」としたところから。 ■『本朝食鑑』には「疣背魚」とあるがマナガツオと混同している可能性がある。 ■『和漢三才図会』には「嫗背魚」、「宇保世」。〈この魚の背はかがんでいて、ほぼ嫗(おうな)の背に似ている。〉、〈思うに、宇保世の形は鯧に似ているが小さく〉。 Temminck コンラート・ヤコブ・テミンク Coenraad Jacob Temminck(1778-1858 オランダ) シュレーゲルとともにシーボルトの持ち帰った脊椎動物を整理、記載。『Fauna Japonica』(日本動物誌)を執筆。 Schlegel ヘルマン・シュレーゲル(Hermann Schlegel 1804-1884年)はドイツの動物学者。テミングとともにシーボルトの持ち帰った脊椎動物を整理、記載。『Fauna Japonica』(日本動物誌)を執筆。 |
地方名・市場名 | 地方名・市場名は長いため下部に表示しました。クリックでジャンプします。 |
概要 
生息域
海水魚。幼魚は表層性でクラゲの傘の下。成魚は大陸棚上の低層。
北海道〜九州南岸の日本海・東シナ海沿岸、北海道〜九州南岸の太平洋沿岸、瀬戸内海、東シナ海大陸棚域。
朝鮮半島西岸南部・南岸・東岸、中国南シナ海沿岸。
北海道〜九州南岸の日本海・東シナ海沿岸、北海道〜九州南岸の太平洋沿岸、瀬戸内海、東シナ海大陸棚域。
朝鮮半島西岸南部・南岸・東岸、中国南シナ海沿岸。
生態
産卵期は春〜夏。
1歳で約14センチ、2歳で17センチ、3歳で19センチ前後、4歳で20センチほどになる。
体表から多量の粘液を出す。
浮遊卵で、孵化後、稚魚のときにはクラゲにくっついて泳いでいる。
毒のあるクラゲの足(触手)に隠れることにより外敵から身を守っている、とともに庇護者、クラゲの足をエサにしているちゃっかりものでもある。
1歳で約14センチ、2歳で17センチ、3歳で19センチ前後、4歳で20センチほどになる。
体表から多量の粘液を出す。
浮遊卵で、孵化後、稚魚のときにはクラゲにくっついて泳いでいる。
毒のあるクラゲの足(触手)に隠れることにより外敵から身を守っている、とともに庇護者、クラゲの足をエサにしているちゃっかりものでもある。
基本情報
日本列島周辺に多い小型魚である。主に底曳き網、定置網などで上がり、流通量は決して少なくない。
古くは庶民的な魚で一般家庭の食卓にも気軽に上ったものだが、近年高値安定なので、スーパーなどで見かけることはほとんどなくなっている。
一般には鮮魚よりも干もの(開き干し)として見ることが多いが、輸入魚のバターフィッシュなどと混同されていることが多い。本種のものはやや高値なのでスーパーなどに並ばないこともある。
鮮魚は塩焼き、煮つけなどにするが、流通の発達から首都圏でも刺身などに加工されている。
古くは庶民的な魚で一般家庭の食卓にも気軽に上ったものだが、近年高値安定なので、スーパーなどで見かけることはほとんどなくなっている。
一般には鮮魚よりも干もの(開き干し)として見ることが多いが、輸入魚のバターフィッシュなどと混同されていることが多い。本種のものはやや高値なのでスーパーなどに並ばないこともある。
鮮魚は塩焼き、煮つけなどにするが、流通の発達から首都圏でも刺身などに加工されている。
水産基本情報
市場での評価 入荷は少なくはない。鮮魚はやや高値安定。干物は高級。
漁法 底曳き網
産地(漁獲量の多い順) 愛媛県、長崎県、島根県、山口県
漁法 底曳き網
産地(漁獲量の多い順) 愛媛県、長崎県、島根県、山口県
選び方・食べ方・その他 
選び方
体表からたくさんのネバネバした粘液を出す、これが鮮度のバロメーターである。粘液が多く透明なら鮮度がいい。
味わい
秋〜初夏。産卵後以外は味が落ちない。
鱗は薄く弱くほとんど気にならない。皮は厚みがあるが弱い。骨は軟らかい。
本来は透明感のある白身だが、すぐ白濁する。血合いは小さい。銀皮がある。熱を通しても硬く締まらない。
鱗は薄く弱くほとんど気にならない。皮は厚みがあるが弱い。骨は軟らかい。
本来は透明感のある白身だが、すぐ白濁する。血合いは小さい。銀皮がある。熱を通しても硬く締まらない。
栄養
ー
寄生虫
ー
食べ方・料理法・作り方(お勧め順)
イボダイの料理法・調理法・食べ方/生食(刺身、酢じめ、焼き切り、焼霜造り)、焼く(塩焼き、干物)、煮る(煮つけ)、揚げる(唐揚げ、フライ)、汁(潮汁、みそ汁)、ソテー(ムニエル)

イボダイの刺身



イボダイのすだち締め


イボダイの干もの





好んで食べる地域・名物料理
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うぼぜの背ごし 和歌山県和歌山市雑賀崎は底曳き網漁の盛んな地。そこで漁師さんなどが好んで食べている料理。イボダイの頭部、鰭などをのぞき骨ごと薄く切り落としたものを酢に漬ける。骨が軟らかくなるくらいに漬け込んだら、塩、しょうゆ、うま味調味料(ハイミー、いの一番、味の素)で食べる。
ぼうぜの煮つけ ぼうぜ(イボダイ)を愛してやまない徳島県で食べられているのが煮つけ。比較的家庭ではあっさりした味つけにする。酒の肴でもあるが、日常的なご飯のおかずでもある。
ぼうぜの姿造り 徳島県では「このくらい味のある魚もない」という。刺身で食べて実に味わい深い。

イボダイの背ごし

イボダイの煮つけ

イボダイの刺身
加工品・名産品
開き干し 開き干しの定番的材料。あっさりとした白身は柔らかく、ほどよく繊維質なので身離れがいい。
ぼーぜ開き 徳島県では「ぼーぜ」を開き干しにしてよく食べる。小田原開きなのも特徴だろう。[徳島県県阿南市]
いぼだい開き干し
主に東シナ海で揚がったものが開き干しなどに使われる。焼いても硬く締まらず、身離れがいい。小骨が少ないのも魅力的。
ぼーぜ開き 徳島県では「ぼーぜ」を開き干しにしてよく食べる。小田原開きなのも特徴だろう。[徳島県県阿南市]

主に東シナ海で揚がったものが開き干しなどに使われる。焼いても硬く締まらず、身離れがいい。小骨が少ないのも魅力的。
釣り情報
長い間、釣りではとれない魚であると思い込んでいたら、実際に釣り上げたという情報が2件寄せられてきた。この2件とも、水深5〜10メートルの浅い場所でベタ底。餌はアミのサビキかオキアミの浮き釣りである。
■ 山梨県の保坂 太さんから、「清水(現静岡市)の日の出埠頭は水深10m前後でエボダイがかかったのは底の方でした」
■ いわっちさんという方からは「日、福井県敦賀新港へ釣りに行きました。釣った魚の名前を知りたくて、HPで調べたところ、イボダイであると思われました」
■ 山梨県の保坂 太さんから、「清水(現静岡市)の日の出埠頭は水深10m前後でエボダイがかかったのは底の方でした」
■ いわっちさんという方からは「日、福井県敦賀新港へ釣りに行きました。釣った魚の名前を知りたくて、HPで調べたところ、イボダイであると思われました」
歴史・ことわざなど
■ 干物材料として有名。
■ 「えばだいの干物」の多くは大西洋から輸入された近縁の魚である。本種の干ものは高値で、以外にスーパーなどで見かけない。
■ 入荷が多いのは東シナ海のもの。
紋日・祝祭日などの食物「魚ずし」 〈秋の産土祭の時に少しつくられた貴重食であったが、1955年(昭和30年)頃から物が多く出まわり、ほとんどの家庭でつくられるようになった。材料は「さば」または「あじ」(二枚にひらいて塩漬けにしたもの)であるが、一部に「ぼうぜ(イボダイ)」「このしろ」などを使う〉[徳島県美馬郡一宇村(現つるぎ町一宇)]。
うぼぜ(媼背魚) 〈この肴は背がかがんでいて、ほぼ媼(老女)に似ている。それで俗に媼背魚という。またこれが訛って宇保世になったのであろうか〉『和漢三才図会』(寺島良安 正徳3年/1713 東洋文庫 平凡社)
■ 「えばだいの干物」の多くは大西洋から輸入された近縁の魚である。本種の干ものは高値で、以外にスーパーなどで見かけない。
■ 入荷が多いのは東シナ海のもの。
紋日・祝祭日などの食物「魚ずし」 〈秋の産土祭の時に少しつくられた貴重食であったが、1955年(昭和30年)頃から物が多く出まわり、ほとんどの家庭でつくられるようになった。材料は「さば」または「あじ」(二枚にひらいて塩漬けにしたもの)であるが、一部に「ぼうぜ(イボダイ)」「このしろ」などを使う〉[徳島県美馬郡一宇村(現つるぎ町一宇)]。
うぼぜ(媼背魚) 〈この肴は背がかがんでいて、ほぼ媼(老女)に似ている。それで俗に媼背魚という。またこれが訛って宇保世になったのであろうか〉『和漢三才図会』(寺島良安 正徳3年/1713 東洋文庫 平凡社)