漢字 翁戎貝 Okinaebisugai
由来・語源 『目八譜』より。エビスガイに似て老い長けているためにオキナエビスガイ。模式産地/相模湾 通称/長者貝
1876年、東京医学校(現東京大学医学部)の外国人教師であったフランツ・ヒルゲンドルフが江ノ島に行ったとき土産物店でみつけて、学会に報告し記載したもの。
長者貝は当時東京大学に動物を採取し、納めていた青木熊吉が採取して東京大学に納めた。箕作佳吉がその労をねぎらって対価として40円を支払う。熊吉が喜び「本当に長者になったような気がします」と言ったのをもとに、長者貝の名が生まれた。 Hilgendorf Franz Martin Hilgendorf(フランツ・ヒルゲンドルフ 1839-1904 ドイツ)。動物学者。お雇い外国人教師として来日。明治6年(1873)〜9年(1876)、日本に滞在する。第一大学区医学校で日本で初めて博物学の講義を行う。軟体類・魚類などの採取を積極的に行い。魚河岸や江ノ島に通い。函館など日本各地を旅行した。国内でもっとも早く動物学・植物学を伝えた重要な科学者である。 目八譜 1843(天保14)、武蔵石寿(武蔵孫左衛門)が編んだ貝の図譜のひとつ。図は服部雪斎が描く。武蔵石寿は貝類を形態的に類別。1064種を掲載する。現在使われている標準和名の多くが本書からのもの。貝類学的に非常に重要。 武蔵石寿 武蔵石寿(むさし・せきじゅ 玩珂停、明和3-万延元年 1766-1861)。石寿は号、本名は武蔵孫左衛門。250石取りの旗本。赭鞭会。本草学、貝類。西洋の新しい分類学も取り入れようとしていた。『目八譜』(掲載1064種)、『甲介群分品彙』(掲載605種)、『介殻稀品撰』など。現在使われている標準和名の多くがここから来ている。
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