醤油以前、ワラサのみそだけ煮
汁多目のみそ煮
瀬川清子は女性に関する民俗を調べた学者として有名だが、食に関する民俗学の基礎を作った人とも言えるのではないかと考えている。宮本常一や柳田國男にはない実際的な食文化の探求が見られるのだ。著書が少ないのが残念ではあるが、個人的な考え方かも知れないが、国内の民俗学の巨人のひとりだと思っている。
いちばん有名な『食文化の歴史』(瀬川清子 講談社学術文庫 単行本は1968)に、1935年、千葉県久留里(現君津市)に近い山村で醤油は貴重品で、普段は「味噌一式で暮らている」、醤油は正月だけの贅沢なものだと報告している。
当時、東京都内で醤油は日常的なものだが、千葉県の山間では貴重品だ、という地域による時代差があるのだ。それでは魚などはどのように煮ていたのか? 例えば佐賀県鹿島市ではみそを水でとき濾した「すめ汁」で煮る「ふなんこぐい」が今に残る。
ただこの鹿島市の「すめ汁」も作るのに手間がかかるので、特殊なものに思えてならない。この久留里周辺での昔の煮魚はどんなものなのだろう?
ワラサの切り身が残っていたので、みそと水だけで煮てみることにした。
水にみそを濾さないでそのまま入れる。瀬川清子はこれを「オトシ味噌」としている。後は煮るだけである。
今回のみそは京都府京丹後市『小野甚』のもので塩分濃度は普通で、ほんの少し酸味があるもの。
8分ほど煮て、熱いまま食べてみたら。うまみは味噌と魚のアミノ酸だけなのに、汁はまるでだしを使ったように味わい豊かで、酒もみりんも加えていないのに甘みがある。ワラサの切り身は硬く締まらず柔らかい。
みそはみそそのままでも、みそ汁にしてもおかずだったという。
今回も当然、ご飯と食べないとその真価はわからない。
そのままご飯に乗せて食べたら実にうまい、古い言葉だが、「籾種失い料理」といってもいいだろう。。
1960年前後まで、食生活の中心は米(ご飯)とおかずであったというが、これほどうまければ、貧とはいえないと思う。