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利根川周辺の漁 もえ網(張り網) 千葉県香取郡小見川町 篠塚秀一さんと小見川の野を走る 2004年1月10日 目次/市場魚貝類図鑑/ 千葉県の目次へ |
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●ともえ網(張り網)というのはほんの幅30センチほどの田の脇の水路、また大きな河川にも仕掛けられるもの。構造は両手を広げたような、もしくは河川などにのばした魚の行く手をふさぐ部分から魚が奥へ奥へと導かれて、一番奥は行き止まりになっている。これはくちぼそ(モツゴ)や小ブナ、ときにはワカサギなども獲物とするもの。 篠塚さんのかなり年期のいったトラックに乗り込んで野面を小堀川の土手に向かう。土手の田んぼの水路にもう4日も前から網を仕掛けている。北総の事務所から約7〜8分の小堀川の脇の田んぼを手始めに小さな水路に筒状になった網が沈められている。これを片っ端から上げていく。 ![]() 北総の船だまりからトラックをとばして、田の水路に行き着くと篠塚さんは間髪を入れずに飛び出し走る。水路に下りて、網の入り口を止める竹を引き抜き、水路を反対側に飛び、入り口から持ち上げてたぐり、魚を奥に追い立てる。これをバケツに入れて、またトラックに走り、次の場所まで運転する。早いというかなんというか、走る飛ぶ、走り飛ぶ。この人、本当に60過ぎているのか、そのうえやたらに目がいいのだから超人である。 網の一番奥の袋状になった部分にきらきらと魚が見えて、バケツに明けるとボラ、フナ、メダカ、モツゴ、それに大量のウシガエルのオタマジャクシがクネクネしている。 「タナゴいないっぺ」と篠塚さん。「昔はタナゴばっかしで、くちぼそは売ってうちで食べるのはタナゴばっかだったっぺ」という。くちぼそは苦みが無く佃煮原料として売り、タナゴを自宅用にして、おかずにしたものの子供には苦くてうまいものではなかった。しかしじゃまになるほどいたタナゴとはなんなのだろう。小堀川近くではボラやフナは多いもののあまり多くの魚はとれなかった。 場所を変えてトラックは小見川大橋を渡り、富田新田に。利根川を渡ると茨城県だと誤解していたが、利根川、常陸利根川に挟まれたここは千葉県小見川町内にあたる。この土地は小見川町富田の人たちが分家して移り住んだのだという。 「ここの水路見てみろ、これワシが子供の頃、掘ったんだよ。手掘り、みーんな手で掘ったんだ。昭和34年だっけな」と篠塚さんは懐かしそうに語る。 見晴るかす水田地帯、立ち枯れたひこばえが風に揺れている。利根川土手から、トラックを河川敷に入れて最初の場所にたどり着く。「その先が渡しだ」といいながらも篠塚さんは走っている。ここがいちばん魚がとれるところだと言うところに来てみると、今までよりも一回り大きな網が仕掛けてある。足元が柔らかくて歩き辛い。残念ながらここに仕掛けた2つの網はほとんど魚が入っていない。フナ(ギンブナ)、クチボソ、そしてここでも大量のウシガエルのオタマジャクシ。「やっぱだめだっぺよ」といいながら篠塚さんはトラックまで走る走る。なかなかついていくのが大変だ。 また小見川大橋を渡り、北総の事務所近く住宅地脇の水路に戻ってきた。ここで網をあげると、「いたいた、タナゴだっぺ」とバケツをのぞくと小さなタナゴが2匹。それからも上げるたびにタナゴ(タイリクバラタナゴ)」が混ざってくる。その上ここでは大きなウシガエルもとれていた。 この小さな張り網を使った、「ざっことり」は最近ほとんどやる人がいない。その大きな原因は「とれなくなったため」である。佃煮材料として売れるのはくちぼそ(モツゴ)、フナなどであるが売って採算がとれる何十分の1もとれない。また仕掛けてとったとしてもその、ざっこの中から売れるくちぼそだけをより分けるのが大変な労力なのである。佃煮など淡水魚を使った加工食品は利根川流域の名産でもある。これが今や危うい状態にある。 今、利根川で小魚をとるのは黒部川、富田新田、本流などでのやや大型のともえ網(張り網)によっている。なかでもワカサギやシラウオは今ではほとんど姿を消し、フナ、くちぼそ(モツゴ)が主要な獲物となっている。 今回感じたのは、これを子供達に見せられないかと言うこと。このざっこ達は今では小見川の子供達にも遠い存在になっている模様だ。川や海岸など水辺からどんどん遠ざかって、ディズニランドのようにまったく生物の存在しない砂漠のような場所にばかり通っていては、近い時代には子供の精神に危機が訪れるのではないか? |
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