2005年10月7日 横須賀市東部漁業協同組合 ■神奈川県の目次へ!/ 市場魚貝類図鑑へ! |
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東京湾西部にある横須賀市東部漁港、眼前に広がるのは猿島を抱く広大な浅い海。ここでとれるタチウオ、マコガレイ、カサゴやマアジ、マダコの味には定評があるし、また砂地と岩礁地帯からなることから、アサリやミルクイ、ウチムラサキなども豊富にとれている。また、ノリ、昆布、ワカメなどの養殖も盛んである。まさに都市のまっただ中にありながら、ここは別天地を作る。 4時に起きる。やはりこの時間に起きるとぼんやりして辛いのだ。これが2時や6時だといいのだけれど、この4時が一番身体が重い。メール・掲示板のチェック、画像の保存を終わらせて外出。時刻は5時半となっている。5時6時はそろそろ渋滞が始まってしまっている。相模原から横浜に向かうときの246越えが大変。不愉快なほど高額な横須賀横浜道路に入る。横須賀で下りるんだと思っていて、葉山だなと見ると、「葉山」の横に「横須賀」とある。そうだ葉山なんだと声に出してしまったときには遅い。それまで「横須加IC」の表示があっても「葉山・横須加」の文字はなかった。こんなところにも道路公団の意地悪さがある。本当に意地悪で悪人だらけ、すなわち親切心のかけらも感じないのが道路公団とこの高い値段のカンバンを作るファミリィー企業だ。 衣笠インターを下りて衣笠を目差し、迷って迷って久里浜方面に出て、大津からやっと新安浦の交差点を見つける。交差点から折れると魚市場、その奥に海が見える。雨の心配をしていたのに晴れ間が見えて暑くなる。まるで残暑残る9月である。東部漁協の建物を見て押っ取り刀で岸壁に駆けつける。 中ではすでに刺し網で水揚げされた魚の選別が始まっている。アカニシ、マコガレイ、ヒラメ、ウミタナゴ、シログチ、カサゴ、シロギス、アカエイ、ボラ、アカカマスがある。生け簀をのぞくとムラサキウニ、ヒガンフグ、ヒラメにカワハギ。 「田中さんはいらっしゃいますか?」と聞くと、「8時くらいにくるよ」というので選別の様子や港の船を見て回る。底引き網の船、また岸壁の先には巻き網の船が停泊している。船上で刺し網の修繕をする、その上を数匹のトンビが舞うのものどかな景色だ。 刺し網の水揚げが終わって、時間をもてあましたのですぐそばの横須賀魚市場を見に行く。こぢんまりした建物に四十物(あいもの)、マグロ、鮮魚と並んで、肉屋が一軒ある。手前にあるのは小さいが冷凍部だろう。仲買の店は1軒だけなのだろうか。 8時近くなって横須賀東部漁協参事の田中貢さんがお見えになる。田中さんは50過ぎだろうか、中肉の穏やかな方である。漁協の2階にある踊り場から猿島回りでのアサリ漁の船を見せてくれて、「いたらがい(アズマニシキ)」、マガキが出荷できるほどとれていたことや、猿島回りにも昆布養殖の筏が出来ることなどのお話を聞く。 「水揚げを見て、その後、昆布漁の話をしましょう」と事務所に入られた。刺し網の次に入船してきたのはアサリ漁の船。本船がケタ網を引き、小型船がモーターを積んでポンプで砂を吹き上げる。これは本来アサリ漁を行っていない横須賀に突然アサリが湧き、急遽、工夫したのではないだろうか? 船には貝の選別機があるが水揚げした後の細かなゴミは手仕事で行う。この水揚げ漁はおおよそ300キロ。それを6〜7人が取り囲んで1時間以上かけて選別する。 田中さんが来て船にとってあった、「たこっかい(ウチムラサキ)」、ミルクイを見せてくれる。 午前10時を過ぎて、田中参事に事務所に招かれて、横須賀における昆布養殖とワカメ養殖などのことをお教え願う。そして筏を設置したときに再度見に来ることにしたのだ。出来れば買って帰りたかった横須賀産の昆布はすでに漁協に在庫がなく、また来年まで待つしかない。 東部漁協にもどりミルクイの水揚げを見て、たこっかい(ウチムラサキ)を分けてもらって帰途に着く。 帰り道に寄るならと田中参事が柴漁協に連絡をとってくれている。国道16号を北上、左に京浜急行を見ながら道幅が細くなり、道の左右は賑やかな商店街となる。追浜、金沢八景を超えて上にモノレールが見えて「八景島」の道路標識。この時点ですでに柴を過ぎていたのだ。これからが大変、迷いに迷ってたどり着くと柴漁港の前は何度も通り過ぎていたのだ。 「柴」といってもピンと来ないかも知れない。ここはむしろ「小柴」と言った方が市場では通りがいい。 田中参事に紹介してもらった松沢参事に会う。時間がないので慌ただしく港内を案内してもらい、ぞくぞくと帰港する底引き網の船を見る。残念ながら獲物のほとんどはタチウオ。アナゴも水揚げされていたがこの時期低調であるようだ。また「小柴名物」のシャコの水揚げはなかった。 |
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