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千葉県小見川町 がんこ親父としっかり女将さんの 作り出す利根の絶品 うなせん 03 千葉県の淡水の漁・味の目次 当日、10月16日は菅谷さん夫婦の結婚記念日。所帯をもたれたのは東京オリンピック開催、そして東海道新幹線が開業した1964年である。その折りにご夫婦は、小見川町から、料理の修業をされた京都に結婚の報告に行く。ふたりは小見川名物の「ぼっか(大ウナギ)」を網袋に入れて土産としたのだが。今のように発砲の箱もなく、まして宅急便もないときである。人気の新幹線は切符がとれず東海道線で向かう途中、当然のようにウナギが死んで、腐り始めてしまった。その臭いが列車内に漂よってくる。「そのよわったこと、肩身が狭くて」と女将さんが語る。語る内容はこんなことでも、女将さんの顔が懐かしげに見える。新婚時代のいい思い出なのだ。それから39年、ぼうずコンニャクが思うにお手本にしたいような夫婦ぶりである。ちなみにその京都の旅の帰りには、開業したばかりの、ひかり号に乗れたという。 |
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鯉の甘煮 いろんな利根川・黒部川の漁を見せていただいて小見川町北総漁協を後にして、こんどは10月10日に天然ウナギの蒲焼きを食べに来た「うなせん」に向かう。今日はコイ料理を見せてもらう。3時半に店の前に着くなり、小学生の可愛い男の子が店の入り口からこちらを覗いている。この子は店主の菅谷敏夫さんのお孫さん、彼が「うなせん」の後継者になるのだろうか。奥に入って菅谷さんを呼んできてくれる。 今日は先日の写真をもって来たのであるが、広げるのももどかしく厨房に招いてくれる。「どうぞ、コイの支度はできていますから」と、まな板には脳天にぽっかり穴が開いたコイがのっている。「おみやげにウナギも煮ていますからね。持っていってください」。厨房の窓ガラスの向こうで女将さんが大鍋を下げていて、その鍋一杯にウナギの佃煮ができあがっている。「なんてうまそうな色合いだろう」、一瞬、じわりと唾がわき上がってくる。お昼ご飯はたっぷり食べたはずであるのに、どうしたわけか空腹感を覚える。前回もそうであるが、「うなせん」の料理は見ただけで食欲が湧き上がる。 菅谷さんが、厨房の外の作業場にいる女将さんに「用意はできているか、始めるからな」と声をかける。女将さんはお湯を沸かしている。菅谷さんがコイのウロコをとる。これは真皮とウロコの間に包丁を入れて、すき引きとも違った独特のやり方である。ウロコをとったコイの頭を落としワタを出す、残念ながらこれはオス。苦玉(胆のう)を慎重に取り出し、白子を掻き出す。「うなせん」ではワタとウロコはお客の要望がないかぎり使わず、真子(卵巣)と白子のみ一緒に煮る。ワタが入ると臭みがでるからというのだが、これは割烹料理を修業した菅谷さんならではの配慮かも知れない。 このコイの身を斜めに、ちょうど菱形の切り身にする。これを待っていたように女将さんが熱湯で湯引きする。別の鍋で、煮汁を煮立て置いて、切り身を入れてから後はずーっと強火で煮あげていく。煮汁はしょうゆと砂糖、これに酒を煮加減をみながら加えていく。煮汁が沸き立って切り身を包み込んでいる。煮汁の加減を見て、ときに酒を足し、しょうゆを足しする。強火のままで煮詰まる直前まで炊いたのにもかかわらず、煮汁はさらりとしている。 「この煮たてを食べるから、うまいんです。できあがったらすぐに食べて欲しいんです」。脇で見ていて、このまま鍋からじかにでも食べろと言わんばかりの菅谷さんである。 ![]() 店に移ると、ご飯の用意がされていて、ここで間髪を入れず食べなさいと言うことである。食卓にきてもまだ煮汁が沸き立っている。「背にあるyの字の骨だけ気をつけてくださいね」。菅谷さんの教え通りに背の部分の身をほぐすと確かに小文字のy形の骨が出てくる。慎重に骨を避けて、背の身を口に放り込むと甘い、そしてうまいが来て、後味はさらりとしている。腹側の身は脂があり、調味料の甘みではなくこの脂が醸し出す甘みが感じられる。どちらかというと腹側が好きだな。なんて思いながらも、追っかけるようにかき込んだ、ご飯に合うこと。ご飯のお代わりをするのはあまりにも厚かましすぎるかなと躊躇する。今、思い出してもお代わりすればよかった、残念。 この「うなせん」のうま煮の特徴は全体にやや甘めながら、洗練されていて後味がさらりと軽い。徹底的に材料が吟味しているようで、それがために、素材そのものの持ち味も生かすようにしているように思えもする。 鯉のあらい コイの甘煮に耽溺している最中、奥から「今、洗いもつくっていますから、酢みそでいいですか」と声がかかる。大変だと大急ぎで厨房に入ると、うま煮のとき残った尾びれに近い部分がまな板に乗っている。その表面にフツフツと盛り上がった部分があり、菅谷さんは「これが出るのは、生きたコイをおろしたときだけなんです」という。これを薄くそぐように切る。切った身は厚さ1ミリほど非常に薄い。これはコイには小骨があって、この小骨を歯に当たらないほどに小さく切り離すためでもある。これを清流で洗う。 できあがった、あらいの脇には芥子酢みそ。あとでわさびじょうゆもいただいたが、酢みその方がいいと思った。水にさらされたコイの身は舌にひんやりと冷たく、噛みしめるとシコっとした歯触り。さっぱりして酢みその味わいに遅れてコイのうまみが控えめながら湧き上がってくる。いい味だな。そういえばコイの洗いと思い返して一度もうまいと思ったことがなかった。きっと洗いも作りたて、コイの身に清流の冷たさが残る間に食べてこそ、真味があるというものであるようだ。 「ドジョウも食べに来てくださいね。柳川には自信があるんです。よそには絶対負けません。ぜひ今度食べに来て味わって欲しいんです。冬には鴨もあります。これは毎日、朝早くから猟に出て、それを店に出すんです」菅谷さんが語る利根川の味は止めどがない。また「うなせん」のすべてを知るためには年間を通して通わなければ駄目だということである。 2003年10月16日 |
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