利根川周辺の漁
刺し網漁 01
千葉県香取郡小見川町
宮崎米秋さん、篠塚秀一さん、
根本豊治さんと利根川へ
2004年1月10日
目次市場魚貝類図鑑
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北総漁協組合長 宮崎米秋さん 昭和15年生まれ。いつも控えめではあるが、ときに飛び出す言葉は正鵠を射ている。少々照れ屋過ぎるのが難点。若い頃は酒豪(今も?)
北総漁協理事 篠塚秀一さん 昭和16年生まれ。ウナギ鎌の名人。いつも明るく、年齢を忘れてしまうほどに元気。小見川なまり丸出しの話しぶりについ引き込まれてしまう
北総漁協理事 根本豊治さん 昭和19年生まれ。ウナギ鎌の名人。来年は還暦というのだ信じられないほど腕力も敏捷さもただ者ではない。今回は煮物などを作っていただいたが、料理名人
目印の赤い旗を発見。下流から目印に近づいていく
最初にあがってきたのはボラ。宮崎さんによると、これは値のつく売れる魚。「うまいんだ」ということ
マルタ、ニゴイがほとんど、たまにフナ(オオキンブナ、ギンブナ)が混ざる
刺し網の中程にかかっていたレンギョ。体長1メートル弱。力持ちの根本さんでも取り押さえられないほど尾の力が強い
これが本日の獲物。「これっでは商売になんね」というほど少ないというが?
 昨年の10月にウナギ漁を見に行って以来の小見川である。「年始には刺し網やっからよ! 来いよな」とすっかり川風に髪をさらされた、一見、今はやりの脱色された白髪で笑っている篠塚秀一さん。約束は忘れないでなんども電話をいただいている。
 年始以来たびたび打ち合わせて、刺し網は1月9日には利根川に張り終えている。これを揚げるのを見学するだけの楽チン利根川漁の旅である。

●利根川での刺し網は川を差し渡すようにナイロン製の網を張り、川を上り下りする魚をカスミ網のようにしてからめ取るというもの。おもに冬季に脂ののったボラやスズキ、コイ、フナなどを狙う。このボラやフナ、コイが一昔前までは漁師たちの貴重な現金収入であった。それが過剰(例えば「とにかくおいしいものが食べたい」なんて無理なことをいう)なグルメ志向はこのB級ではあるものの味わい深い利根の食材の価値をどんどん下げている。そのために今ではこの刺し網漁も開店休業中。今時のグルメたちは、もっと勉強して川魚の最評価をするべきである。これほど特色のある味わいを捨てたくなければ。

 駐車場には3時ちょうどに下りる。まだクルマは凍りついていない。利根川下流の小見川町まではだいたい2時間半を見ているが、なにしろ東京都を横断する長旅? である。その上、三連休の初めの土曜日ということで不安がよぎる。そこで早めの出発となる。ところが、都心でも京葉道路でも、東関東自動車道路でもまったく渋滞はなくてすいすいと5時には佐原香取インターを下りる。下りてすぐにあるローソンで朝ご飯を買う。最近、コンビニでカップラーメンを買い、お湯をそそいで食べるというのを発見。これが暖かくて便利だ。
 インターから小見川町までは寂しい山道を15分ほど。時間があるのでまだ寝静まった町並みをクルマで回ってみる。小見川町は人口26000人、町としては規模が大きい。(たとえば同じ千葉県でいえば勝浦市などは23000人)。江戸時代、天領の多い利根川流域では珍しく藩地であり、水運とともに栄えた町である。その面影は今ではほとんど見ることができない。クルマでめぐるかぎりにはぽつりぽつりと土蔵や趣のある日本家屋が見られるだけで、隣町の佐原と比較して少々味気ない。ただし商店街は縦横に続き、個人商店の多さからいっても、落ち着いた田舎町としての魅力は充分ある。

 時間つぶしをして、北総漁協のこぢんまりした敷地にたどり着いたのは6時である。夜はまだ明けぬけれど、黒部川の土手の草むらが白く浮き上がって見える。草の葉を手でしごくと霜、外気は刺すほどに冷たい。1時間ほど仮眠する。真っ正面から上る太陽が低い山並から炎を吹き上げる。そのまぶしさにまどろみながら、ゆっくりと覚醒、これがなんとも心地よい。土手をジョギングするひとが後から後から通り過ぎていく。
 長靴を履いて北総の船だまりにおりるが釣り人すらいない。あたりは霜でまっしろ、この寒さでは早朝は釣りにならない模様だ。港でストレッチをしていると遙か遠くでトトトトっと銃声が聞こえてくる。
 8時前に土手にクルマが入ってきた。宮崎米秋組合長である。しきりに寒い寒いを連呼している。「寒いだろ、早く入れ」と組合の建物の鍵を開けて暖房をいれてくれる。続いて到着したのが篠塚秀明さん。「何時にきたっぺよ」と事務所に入って、「今日はいっぺい仕掛けてあっからよ、なんかはいってっぺ」とせわしなく煙草の箱をもてあそんでいる。どこか控えめで静かな宮崎さん、どこまでも明るくて磊落な篠塚さんに、遅れて来たのが根本豊治さん。根本さんは寡黙であるがいつも優しい笑顔が浮かんでいる。宮崎さんは昭和15年、篠塚さん16年、根本さんは19年生まれ。皆、漁になるととても60前後には思えぬほど機敏である。
 船だまりを8時過ぎに出る。黒部川と利根川を隔てる水門を開けて船を本流に入れた。
 水門を出てすぐに、「あそこに小屋が見えるっぺ、小屋の上手に棒があるだろ」。向こう岸に小さな小屋が見える、しかし小屋といっても遙か彼方にぽつりと見える物の棒なんて皆目見えない。見えないというと、篠塚さん、「あっれ、小屋のすぐ上だお、見えねっか」。見えるわけがない。利根の川幅はゆうに200メートルはある。その先には葦の原、その遙か先には鹿島工業地帯の煙突。見晴るかす景色はまことに茫漠として広い。この広さの中で刺し網の目印は針のように微少である。それが60過ぎの篠塚さんたちにはしっかり見えている。
 今日は風もなく凪いでいる利根川であるがさすがに寒さは厳しい。宮崎さんはゆっくり船を進めて刺し網の目印につける。斜め上流に船首を向けると根本さんが刺し網の碇を上げる。たぐり始めて2メートルといかないうちにボラ、ニゴイ、ボラと揚がって、マルタマルタ、ニゴイニゴイと鈴なりである。漁でのいちばんの獲物であるフナはぽつりぽつりと揚がるのみ。宮崎さんから「こりゃおいねーぞ」と声があがる。「Tさい(ニゴイ)Uばっかでねか」。



 篠塚さんも、根本さんも怪訝そうである。「こんなとれてもいくらにもなんね、すてるだけだっぺよ」。この刺し網で値がつくのはボラとフナ(写真下)、コイの3種。これに堰の下流ならスズキが入るのだろうか?



 川の中程まできたときに刺し網のたぐる先に巨大な白いものがうごめいている。レンギョである。根本さんが刺し網を、篠塚さんが手網ですくってよいしょとあがってきたのは1メートル弱の小さな(?)レンギョである。ドシンドシンと船の胴で暴れるレンギョ。押さえ込もうとしてもものすごい力ではねのける。「ほうる(捨てる)っぺよ」というのをなんとか船に揚げてもらったが、こんなのが何十本もあがったら大変だろう。
 獲物の多くはマルタとニゴイである。マルタは60センチ、1キロほどもありそうだ。胴の間はすぐに魚で一杯になる。そのほとんどすべてが値のつかぬTざっこUばかりで肝心のフナは少しだけ。「これじゃ漁にはなんね」というのが宮崎さんの呟きである。
 刺し網を揚げるのはほんの20分ほど。「これからが大変なんだ」と富田新田、すなわち小見川町の利根川対岸に船を寄せる。



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