202401/13掲載

おちょぼさんと木曽三川、輪中と新バエと

輪中地帯は淡水魚食の宝庫


木曽三川といわれる木曽川、長良川、揖斐川の下流域を輪中地帯という。岐阜県、愛知県、三重県にまたがり水郷地帯というよりも河川の氾濫地帯と言った方がいいだろう。
平安時代、荘園としては三河の方が重要視されていたようだし、鎌倉時代になってじょじょに治水が行われて、江戸時代18世紀には薩摩藩などによって、尾張側(木曽三川の東)の平地が安定的な耕地になるが、現在の海津市や愛西市、弥富市、長島(現桑名市)などはおいてけぼりになり、1960年代(1970年代かも)になっても氾濫の危険をかかえていた。
ちなみに鹿児島、薩摩藩が幕末に飛躍するのは、この治水工事で、藩主、大御所で酷薄な島津重豪がどん底を見たからだ。
この地域こそは国内で淡水魚食を調べている人間にとって外せない地域でもある。ちなみにこの尾張・南美濃は基本的たんぱく源は淡水魚という地域だった。とすると織田信長も豊臣秀吉も、加藤清正も淡水魚で育ったといっても間違いではないと思う。ちなみに尾張人はこの輪中地帯と同じようなものを食べていたが、この輪中地帯の人々の土地にたいする執着心がわからなかったのではないか? これがために織田信長は長島攻めに苦労したのだと思う。
河川・水路が交通の動脈のごときものであった時代に、この河川が交わり、周辺の平野に灌漑を施し、堤防を築くということが築城につながり、また交易(貿易)に目を向けさせることになる。戦国時代に合戦が消耗戦になることにいち早く気づいたのも、織田信長など交易に長けた尾張人である。
余談だがこの木曽三川の、より原始的なバージョンが江戸時代以前の江戸だ。干潟、江戸湾からの汽水・海水生物も食べているが、それ以上に淡水生物へのタンパク質依存が高いということで共通している。
さてその輪中地帯にあるのが海津市で、ここに唐突にあるのが千代保稲荷(おちょぼさん)だ。鉄道のない地域であり、取り立てて市街化された場所がないところに、忽然と参道という商店街がある。
名物の串カツやどて焼き、和菓子もあるが、それ以上にこの千代保稲荷を特徴付けるのが淡水魚なのである。
ウナギやナマズ、コイなどの料理が楽しめ、「ふなみそ(フナと大豆の煮込み料理)」、佃煮などの加工品なども買える。
今回、愛知県人なのに先島諸島住民という若い衆にいただいたのが千代保稲荷、大周屋の「新バエの佃煮」と「いなごの佃煮」だ。
イナゴはともかく、新バエは我がサイトの調べているもののひとつなので、実に興味深い。「はえ」というのは多くの地方でオイカワの呼び名であったりするが、この輪中地帯周辺では小ブナのことである。フナにはいろんな種類がいると思うが、たぶんギンブナだろう。
フナの小型を「新バエ」というのは愛知県津島市、そして三重県桑名市、そして海津市で確認しているが、もっと広範囲に愛知県西部、南美濃、伊勢で使われている呼び名だと考えている。
小ブナの加工品は日本各地に残る。関東にも多く、長野県佐久などにもある。愛知県・岐阜県・三重県があって、岡山県にも今も残る。
ちなみに佃煮は醤油を使うが、本来はゆで干し、塩煮だろう。それが江戸時代になり醤油が普及して佃煮に変化する。佃煮という江戸っぽい名前がいかに変か、というのが、このあたりからわかると思う。
淡水の小型魚を加工するのはこちらの方が先だと思うのだ。
さて千代保稲荷、大周屋の「新バエ」がうまい。炊きたてご飯に合う。
非常に均質に柔らかく炊けているのも魅力的である。
強烈に輪中地帯への熱量が高まってきて困る。
先島諸島の若い衆に感謝する。

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ギンブナのサムネイル写真
ギンブナCrucian carp淡水魚。水路や河川の流れのゆるやかな場所、湖沼に棲息。北海道、本州、四国、九州。琉球列島には移入。朝鮮半島、中国。・・・・
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