シマガツオ

シマガツオの形態写真一覧 (スワイプで別写真表示)
41cm SL 前後になる。極端に側へん(左右に平たい)し体高が高い。背鰭は1。腹鰭は左右離れている。両眼の間は著しく突出する。[41cm SL ・1.365kg]
41cm SL 前後になる。極端に側へん(左右に平たい)し体高が高い。背鰭は1。腹鰭は左右離れている。両眼の間は著しく突出する。[41cm SL ・1.365kg]
両眼の間は著しく突出する。
腹鰭は左右離れている。
珍魚度・珍しさ★★★
がんばって探せば手に入る
魚貝の物知り度 ★★★★
知っていたら達人級
食べ物としての重要度 ★★
地域的、嗜好品的なもの
味の評価度 ★★★★
非常に美味
分類
顎口上綱硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭区棘鰭上目スズキ系スズキ目スズキ亜目シマガツオ科シマガツオ属
外国名
Pomfret
学名
Brama japonica Hilgendorf, 1878
漢字・学名由来
漢字 縞鰹、島鰹 Shimagatuo
由来・語源 東京都東京市場で採取された呼び名から。田中茂穂はシマガツオのほかにハマシマガツオ、エチオピアを併記している。
〈Brama Raii, Bloch シマガツオ 東京市場〉。『帝国博物館天産部魚類標本目録.帝国博物館』(石川千代松・松浦歓一郎 1897/明治30年)

マナガツオ(写真)に似ているため マナガツオとともに東京での呼び名である。2種の呼び名はカツオとは関係がない。マナガツオはの長崎県での呼び名マナガタと同じで「真菜刀(野菜を切る包丁)に似ている魚」という意味が転訛したもの。シマガツオは、マナガツオに似ている形なので「しままながつお」が転訛したものかも。「しま」は「島」であるのか「縞」なのかはわからない。
Hilgendorf
Franz Martin Hilgendorf(フランツ・ヒルゲンドルフ 1839-1904 ドイツ)。動物学者。お雇い外国人教師として来日。第一大学区医学校で日本で初めて博物学の講義を行う。魚類の採取を積極的に行い。魚河岸や江ノ島に通い。函館など日本各地を旅行した。
地方名・市場名

概要

生息域

海水魚。水深620より浅場にいて夜になると表層に浮き上がる。
北海道〜土佐湾の太平洋沖、北海道〜九州北岸の日本海沖、伊豆諸島、小笠原諸島、東シナ海大陸棚斜面上部域、九州〜パラオ海嶺。
朝鮮半島西岸・南岸、台湾、ピーター大帝湾、北太平洋、東太平洋。

生態

基本情報

北海道から九州・四国の中層で揚がる魚である。ときどき底曳き網などでまとまった水揚げがあるものの、水揚げは不安定である。その特異な姿から知名度は高いものの流通上の評価は一定しない。
珍魚度 珍魚ではない。ただ水揚げが不安定なので探しても手に入れにくい。

水産基本情報

市場での評価 水揚げが不安定で突然大量にとれたり、まったくとれなかったりする。安定的な入荷は望めない。三陸などからまとまって入荷してくる。比較的安い。また少ないながら釣りものも入ってくる。底曳き網ものに影響を受けて、これもあまり値がつかない。
漁法 底曳き網
産地

選び方・食べ方・その他

選び方

水揚げしたばかりのときは銀色で、時間がたつと黒ずんでくる。鮮度が悪くなるとこんどは白っぽくなってくる。輝きのある銀色か黒いものがいい。

味わい

旬は秋から春ではないかと思う。入荷が不安定なのではっきりしない。
鱗は細長く一部が皮膚に埋没していて非常に取りにくい。皮は厚みがあり強い。骨は柔らかい。
やや赤みがかった白身で白濁しやすい。熱を通しても硬く締まらない。

身色・身質 やや赤みがかった白身で血合いが赤い。熱を通しても硬く締まらない。
腹部の鱗 鱗は複雑な形をしていて、鰭周りでは棒状。非常に取りにくい。
腹骨 内臓を囲む腹骨は板状になっている。

栄養

危険性など

食べ方・料理法・作り方

シマガツオの料理・レシピ・食べ方/生食(刺身、カルパッチョ、セビチェ、なめろう・みそたたき)、焼く(塩焼き、みそ漬け、粕漬け、幽庵焼き)、煮る(煮つけ、魚すき)、ソテー(ムニエル)、汁(みそ汁)、揚げる(唐揚げ)
シマガツオの刺身 水洗いして三枚に下ろし、歩留まりの悪い腹をさけ背の部分の皮を引くと、比較的軟らかな筋のない身が出てくる。背と腹に分けると血合い骨周辺に血合いがあり、刺身にすると血合いはほとんどなく、マナガツオとかビンナガマグロに似た身色をしていて、やや軟らかい。
旬の晩秋から冬にかけてでも、極端な脂ののりはないが、ほのかに甘みがあり、舌の上でとろりと脂を感じる。優しい味わいである。

シマガツオのなめろう 水洗いして三枚に下ろし、刺身にするが、春などの個体は、イヤミのない味ではあるがインパクトに欠ける味だ。それをみそと香りや辛みにある野菜で補う。身は細かく切り、みそと合わせてたたく、そこにねぎ、青じそ、みょうがなどのみじん切りを合わせてもう一度たたく。
シマガツオの塩焼き 水洗いするが、鱗は非常に硬く取りにくい。この鱗は取れる部分だけ取り、塩焼きにする。鱗が気にならないくらいにこんがりと焼き上げても身はしっとりと軟らかく仕上がる。身には甘みとほどよいうま味があり、イヤミは全くない。非常に美味である。
シマガツオのみそ漬け 水洗いして皮を引いた切り身を、みそ、みりん、酒の地につけ込んだもの。ここでは甘口の麦みそを使ってみた。みそはお好みのものを使うといい。焦げないようにじっくりと焼き上げる。シマガツオの甘味にみそのうま味と甘味が加わってとてもおいしい。
シマガツオの幽庵焼き 水洗いして、切り身にする。これをしょうゆ、みりん、酒同割りの地につけ込んで焼き上げたもの。柚子や山椒で風味づけしてもいい。じっくり焦げないように焼き上げる。旬の時季なので脂があって硬く締まらず、調味料と一体化して、非常においしい。
シマガツオの魚すき(いり焼き) 魚のすき焼きと思えばいいだろう。ここでは割り下を使ったが、市販のすき焼きの地を使ってもいい。水洗いして三枚に下ろし腹の方は皮を引く。切り身にしてゆどうしして、氷水に落として残った鱗やぬめりを取る。水分をよくきり、みりん・酒・砂糖・醤油・水で割った地で煮ながら食べる。
シマガツオのあら煮 水洗いして刺身などにした残りのあらや頭部を煮つける。頭部などは適当に切り、湯通しする。冷水に落として残った鱗やぬめりを流す。水分をよくきり、酒・砂糖・醤油・水を沸かした中で煮る。くせのない白身ではあるが骨回りに味がある。
シマガツオのムニエル 水洗いして三枚に下ろし皮を引き、切り身にする。塩コショウして小麦粉をまぶして多めの油でソテーする。こんがり焼き上がったら余分な油を捨ててバターで風味づけする。くせのない白身で筋がなく柔らかく食べやすい。バターとの相性もよくとてもおいしい。
シマガツオの竜田揚げ 腹の蛇腹状の部分や鰭際などを集めて置く。水分をよくきり、片栗粉をまぶしてじっくりと二度揚げにする。揚げたてに塩コショウする。中骨や蛇腹状の骨は硬くて食べられないがその周辺の身はとても味わい深い。鶏肉に近い食感である。
シマガツオのみそ汁 中骨などあらを集めて置く。湯通しして冷水に落として残った鱗やぬめりを流す。水分をよくきり、水から煮出してみそを溶く。昆布だしを使ってもいい。実にうま味豊かな汁になる。濃い目のみそ汁にするとご飯にも合う。

好んで食べる地域・名物料理

日本各地

加工品・名産品

漬け魚

釣り情報

相模湾では乗合船があり水深160メートルから200メートルの中層で、仕掛けは胴突き、エサはサバの短冊である。引きが強いので根強い人気がある。他には深場づりの外道としても形を見る。

歴史・ことわざなど

日本各地で「エチオピア」という、その由来
●1935〜1937年に相模湾でこの魚の大漁があり、一般の食卓にものぼるようになった。ちょうどそのときにエチオピアの皇族が来日中であり、この皇族に国際的なロマンスの噂がたって新聞などを賑わせた。それを記念(この表現が不明)してエチオピアと呼ぶようになった。(『魚の履歴書』末広恭雄)
●昭和初期からわが国の南方漁業が急に盛んになり、この魚の漁獲も増えたが、丁度そのころ、わが国とアフリカのエチオピア王国との外交関係が親密であったことから、〈エチオピア〉=〈黒人国〉の連想により、この黒褐色の南方魚を、漁船員、魚商等が〈エチオピア〉と呼び始めた。(参考/『新釈魚名考』榮川省造 青銅企画出版)

地方名・市場名

ビヤ
参考文献 場所東京 
テツビン クロマナ クロマナガツオ
参考文献 場所東京市場 
ピア
参考文献 場所東京市場、神奈川県小坪 
シマガツオ
参考『帝国博物館天産部魚類標本目録.帝国博物館』(石川千代松・松浦歓一郎 1897/明治30年) 場所東京都東京市東京市場 
ヒラブタ
参考文献 場所神奈川県三崎 
マナガツオ モモヒキ
参考文献 場所神奈川県大磯 
クロカジ
参考文献 場所秋田県男鹿 
ハマシマガツオ
参考文献 場所別名 
オッペタンコ
備考相模湾の漁師はオッペタンコと呼ぶ。 参考聞き 場所相模湾 
テツビン[鉄瓶]
備考築地など関東の市場、静岡県焼津でテツビン(鉄瓶)と呼ぶ人がいる。 場所築地など関東の市場、静岡県焼津 
エチオピア
備考【エチオピアの由来】●1935~1937年に相模湾でこの魚の大漁があり、一般の食卓にものぼるようになった。ちょうどそのときにエチオピアの皇族が来日中であり、この皇族に国際的なロマンスの噂がたって新聞などを賑わせた。それを記念(この表現が不明)してエチオピアと呼ぶようになった。●昭和初期からわが国の南方漁業が急に盛んになり、この魚の漁獲も増えたが、丁度そのころ、わが国とアフリカのエチオピア王国との外交関係が親密であったことから、〈エチオピア〉=〈黒人国〉の連想により、この黒褐色の南方魚を、漁船員、魚商等が〈エチオピア〉と呼び始めた。 参考聞取、『魚の履歴書』末広恭雄、『新釈魚名考』榮川省造 青銅企画出版 場所東京都、神奈川県、徳島県海部郡海陽町宍喰『宍喰漁業協同組合』、沖縄県など日本各地