浦戸湾文庫 14
高知大学理学部自然環境科学科教授理学博士、
高知大学海洋生物教育研究センター教授兼任
町田吉彦 Machida Yoshihiko
1947年3月30日生まれ、秋田県出身
国策であったか!

 国土交通省四国地方整備局港湾空港部のホームページを見て驚いた。タイトルは沿岸域における自然再生事業である。まず、〈21世紀は環境の世紀〉とある。もちろんである。次いで、便利で豊かな生活が実現した一方で、多様な生物が生息できる良好な自然環境が失われたことの認識、とある。もちろん、この認識は国民に必要である。この次に多分、「から」「に立脚し」などが省略されているのだろう。さらに、環境と共生する港湾(エコポート)を目指し、豊かな生態系を育む自然再生型事業を総合的に展開、と続く。「環境と共生する港湾」「豊かな生態系を育む」という日本語は私には難解であるが、自然再生型事業をまったく否定する訳ではない。この次にある具体的メニュー例の1は、多様な生物の生息地である干潟・藻場の保全・再生・創造である。これまた、もちろん必須である。ただ、その下の画像に付された注釈に眼が釘づけになった「港湾整備事業から発生する土砂を活用し、生態系に配慮した干潟・藻場の保全・再生・創造を行なう」とある。無茶である。
 浦戸湾では、その流入河川の一つである国分川の防災工事に伴う浚渫土砂を「有用な資源」として灘地区の埋め立てに再利用し、親水護岸としての「干潟」を造成する計画がある。浦戸湾では、藻場の保全・再生・創造には触れられていないが、国と県の浚渫土砂を再利用するという方針は一致する(当然だろうが)。この沿岸域の保全・再生・創造事業は40箇所(26港3湾)で実施されるそうである。多分、浦戸湾がこれ
に含まれているのだろう。さらに、事業の進め方として、地域住民やNPOなどの多様な主体の参加・連携が謳われている。これまた高知県港湾空港局の方針と一致する。現実に、浦戸湾ではNPO が積極的に絡んでいる。最後に、自然の不確実性を踏まえた順応的な管理手法の適用、とある。それほど自然の力を認識し、柔軟な姿勢で工事に臨むのなら、これをもう一歩進めてぜひ中止して欲しい。

けっしてきれいな川とは言えそうにない国分川。この浚渫砂を利用すると言うが、この砂大丈夫か?

 土砂をいくら積んでも干潟はできない。干潟は、形成されるべき自然の地形で、生物と水の動きにより、長時間かけて形成される自然環境である。そこに多数の生物が生息するのは事実である。この事実だけに注目し、自然での形成過程を無視してはならない。また、後者にあえて蓋をしているとすれば、問題はより大きい。干潟は泥(粘土とシルト)だけの無機質で覆われているのではない。生物に由来し、また、生物それ自体が構成要素となる有機浮泥があるからこそ、それ以外の生物が豊富なのである。有明海の干潟の形成にどれほどの時間を必要としたのかは、ちょっと調べればすぐに分かる。造成地に有機浮泥がうっすらと堆積し、干潟の動物がかろうじて棲める環境になる前に、画像にあるような造成された「干潟」は自然の力で跡形もなく消失するであろう。なぜなら、そもそもあり得るはずのない場所に無理矢理造るのだから。
 外洋の藻場と内湾の藻場は、底質環境も生物の構成要素も異なる。土佐湾沿岸の外洋では、カジメの群落が最も適した藻場であろう。ただ、これとても簡単には形成されない。カジメを餌にする魚たちがせっせとこれを利用し、元の木阿弥になる可能性が大きい。しかも、温暖化で、南方からこれらを餌とする魚がわんさと押し寄せているのだ。土佐湾の沿岸ではむしろ、拡大しつつある造礁サンゴの群落に注目すべきである。造礁サンゴは動物と「藻類」の共生体である。これは、生物学の基礎知識である。ついでに、造礁サンゴ群落は、水界生態系の中で最も生産性が高いのも基礎知識
である。
 浦戸湾内でアマモによる藻場を復元するにしても、わざわざ新たな造成地を準備する必要はない。浦戸湾では、すでに大量の砂が衣ケ島の周辺に撒かれてしまった。この後始末をどうするか? それには、ここにせめてアマモ場を復元し、動物が定着できる環境を回復するしかない。これが復元してこそ、遅まきながら自然が再生されたことになる。もちろん、底質が入れ替わった以上、それが本来の自然と異なるのは明らかである。

浦戸湾中央部にある衣ヶ島、玉島。まったく事前の調査も覆砂の研究もなされないまま、この衣ヶ島に覆砂が行われた。
結果、「えがに(トゲノコギリガザミ)」やクルマエビ科のエビなどが激減。春から初夏には潮干狩りで賑わったものの、
これが来年(2004年)も続くかどうか? この覆砂事業の推進者であるNPOや県は稚貝の発生量や、現在の砂の状況など
しっかり調査しているのだろうか


 浦戸湾がいかに希少な動物に恵まれているか、埋め立てが動物にいかなる影響を及ぼしているかはこの文庫でも紹介した。浦戸湾は面積わずか7平方キロメートルの狭隘な海域である。平成5年に環境庁が指定した全国88ヶ所の閉鎖度が高い海域の10位に位置する。高い閉鎖度は、水が汚染されやすいことを意味する。閉鎖度を下げるには湾口を広くし、湾口をより深く浚渫する必要がある。湾口の拡張は、浦戸湾では不可能である。種崎地区はすでに民家が密集し、県立種崎千秋公園もある。土佐湾の波はただでさえ激しく、自然状態での湾口の閉塞が著しい。仁淀川の河口も、四万十の河口もしょっちゅう浚渫している。閉鎖度を下げるもう一つの方法は、最大水深を増すことである。しかし、湾外から持ち込んだ砂を撒けば、やがてそれらが移動して澪筋は浅くなる。浦戸湾の湾口部の最大水深は10m、湾内の最大水深はわずか22mしかないのである。閉鎖度を下げるには、埋め立てよりむしろ澪筋の浚渫が必要なのである。
 湾全体が浅くなれば当然、新たな防災上の不安が生じる。1970年12月15日に、高知市議会が防災の観点から、浦戸湾をこれ以上埋め立てない旨の決議をした。これは、同年8月21日に襲来し、高知市を中心に死者・行方不明者13人、737億円の大被害をもたらした台風10号が大きなきっかけになっている。すなわち、この台風が来るまでに、浦戸湾は埋め立てられ続けていたのである。それにも拘わらず、なぜか浦戸湾はその後も度々埋め立てられた。それゆえに、防災上の必要から、防波堤を高くせざるを得なかった。もういつ発生しても不思議ではない南海大地震と、それに伴う巨大な津波の土佐湾への襲来が予想されている。防災工事は住民の生命と財産を守るうえで不可欠である。しかし、埋め立ての繰り返しと防波堤のかさ上の繰り返しのセットは、明らかにナンセンスである。しかも、防波堤が高くなり過ぎ、海が見えなくなったとの理由で親水護岸を造成し、それが浚渫土砂なのに干潟と称するとは、言語道断である。
 川や海が汚染され、埋め立てられるというパターンが日本全国でいやと云うほど繰り返されてきた。そしてその都度、海が荒廃しては漁民が泣き、沿岸漁業が廃れてきた。しかし、今回の事業は、同じく漁民泣かせなのだが、これまでといささか趣が異なる。明らかに不要不急の「公共事業」である。各地の沿岸はそれぞれ地形が異なり、沿岸流も、潮汐流も、淡水の流入量も異なる。したがって、沿岸の再生にワンパターンは通用しない。四国の周囲だけを大きく見ても、土佐湾、紀伊水道、瀬戸内海、豊後水道のそれぞれで環境が異なっているのである。
 戦後間もなく開始された杉や桧の植林政策が山を荒廃させ、川と海を痛めつけた。植林地といえども、十分な手入れがあれば森林生態系として、また、木材としての高い価値が保たれる。現に四国でも、徳島県にある、十分に手入れされた一部の民有林は見事の一言に尽きる。しかし、植林地の多くはそうではない。荒れた、と言うより、見捨てられた植林地が着実に拡大している。いや、見捨てざるを得ないのである。これをそっくり所有者の責任にしてよいはずがない。ある人はこんな杉林を線香林と呼んだ。悲惨である。とはいえ、このままでは川も海も復活しない。それどころか、今度の事業は、海にさらに追い討ちを掛ける事業ではないのか? これが全国に普及してよいのか? 山での過ちを海で繰り返してならないのは明らかではないのか?
 年配の高知県民は、1971年6月9日の「高知パルプ生コン事件」をよもや忘れた訳ではあるまい。戦後間もない1950年から、高知市の中央部を貫流する浦戸湾流入河川の一つである江の口川に、一日あたり13500トンという信じがたい量のパルプ廃液が垂れ流し状態だった。この文庫の最初で紹介したが、私が高知大学に入学した1965年当時、高知駅に降り立つとドブの匂いが漂い、風向き次第では吐き気をもよおすほどだった。川の水全体がどす黒く、ヘドロの深さを測るのも躊躇されるほどであった。川沿いの民家は窓を開けることすらできず、それでも金属の食器がたちまち変色したという。パルプ廃液が流れ込む浦戸湾は、そのころ全国で最悪の海だった。奇形魚が続出し、潰瘍で鱗がはげ落ちて皮膚がただれ、出血した痛々しい魚が山ほどいた。地域の住民と自然は、地域の経済のなすがままだった。そこで、郷土を愛し、その象徴である浦戸湾をこよなく愛する市民がパルプ廃液の排出孔を生コンで塞ぐという実力行使に出たのである。当時、私は大学院生で、福岡で暮らしていたが、衝撃的なニュースだった。
 実行者は罰金刑を甘受したが、高知市民と浦戸湾は重度の公害から見事に救われた。判決後の実行者の一人の、記者会見における談話は爽やかであった。「私は、人間の掟では有罪になったが、神の掟では無罪であると信じています」。裁判長の言を待つまでもなく、健全な市民が、直接的被害者でないにも拘わらず、公害から自然を守り、環境破壊を阻止したのである。判決にあたり、裁判長は製紙会社の背信行為と、被害を黙視し続けた行政の怠慢を厳しく糾弾するコメントをあえて付した。日本の公害反対運動の歴史に残る、あまりにも有名な出来事である。私はこれ以降、高知県民の川と海、そして環境に対する意識が飛躍的に深まったと理解している。郷土のすべての人にとって、また、全国の人にとって、絶対に風化させてはならない出来事にも拘わらず、高知県ですらこの出来事が風化したのだろうか? 否、あえて無視する人たちが増えたのだろう。この出来事から30余年、ようやくにして浦戸湾がよみがえりつつあるのは、事業を提案したNPOも、そして古くから住んでいる地域の誰もが認めている事実である。無謀な埋め立ては自然破壊そのものである。浦戸湾の埋め立てに関与する行政マンが、この「高知パルプ生コン事件」を若いから知らない、他所から来たから知らないでは済まされない。悲しいかな、戦後生れで、高知県生まれでない私は本当の浦戸湾を知らない。しかし、今の浦戸湾の自然が日本の貴重な財産であり、これが公害と自然破壊を憂慮した高知市民の身を賭した行為によってもたらされた事を肝に銘じている。
 これまでと同様、今回も私の一方的な見解である。私はもちろん、高知県の環境保全について、また、それにまつわる公共事業のあり方について、県民の間で広範な議論が起こることを期待している。

付記:浦戸湾の埋め立ての歴史と、「高知パルプ生コン事件」に関しては、1980年に浦戸湾を守る会が発行した、和田幸雄著、「高知生コン事件の全貌」から引用した。本書をご恵与いただいた同会の田中正晴事務局長に、この場を借りて厚く御礼申し上げる。同時に、著者の和田幸雄氏に謹んで敬意を表する。

町田吉彦 Machida Yoshihiko
http://www.kochi-u.ac.jp/w3museum/fishlab.html




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