浦戸湾文庫 13 高知大学理学部自然環境科学科教授理学博士、 高知大学海洋生物教育研究センター教授兼任 町田吉彦 Machida Yoshihiko 1947年3月30日生まれ、秋田県出身 |
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小雪の候 中学・高校と同じだったSから宅急便が届いた。「きりたんぽ鍋」のセットだ。小雪の時期に決まって届くようになった。故郷の味は嬉しい。二人の孫を抱っこしているSに、土佐の甘い蜜柑を送ることにしよう。 Sが東京の大学に進み、途中で郷里に帰ったのはずいぶん後で知った。これは多分、母一人、子一人のせいもあったのだろう。彼のお袋さんには可愛がってもらった。10年ほど前、帰郷した折りに訪ねてみた。Sは不在だった。お袋さんは、私の顔も名前もさっぱり思い出してくれない。昨年、Sから喪中欠礼が届いた。 今は高知市内のスーパーでも「きりたんぽ」を売っている。きりたんぽ鍋は猟師(またぎ)の料理である。海の幸はいっさい入れない。きりたんぽ鍋には比内鶏(ひないどり)のスープが不可欠だ。しかし、高知市内でこれを入手するのは難しい。比内鶏の味を知ったのは、長兄が現役の頃、きりたんぽ鍋のセットを送ってきてからである。比内鶏は、名古屋コーチン、薩摩の軍鶏と並ぶ日本三大食鶏である。スープも肉もすこぶる美味い。比内町は北秋田郡にある。広い秋田県ゆえ、私は訪れたことがない。私の家は県南の日本海に面した本荘市にある。昔は鱈が本当に安かった。鱈ちりはよく食べたが、子供の頃に家族できりたんぽ鍋をつついた記憶は余り多くない。その時のきりたんぽ鍋が比内鶏のはずはないのだが、比内鶏が欠かせないとなったのは、故郷への一方的な思いがそうさせているのかもしれない。坂本龍馬は軍鶏鍋を好んだようだ。県内では、龍馬生誕の地の高知市よりむしろ東部、特に中岡慎太郎の出身地である北川村の名物として名高い。慎太郎と龍馬が、三条河原町の近江屋新助宅の二階八畳間で鍋にする軍鶏肉を待つ間に襲われ、これが因で世を去ったのは余りにも有名である。 土佐の鍋の代表といえば、「くえ鍋」であろう。しかし、値段が半端ではない。軍鶏鍋と同様、残念ながら私とは縁が遠い。しかも、地元の「くえ」を見ることさえ滅多にない。土佐での私のお勧めの鍋は、何と言っても猪鍋である。一昨年、本山町で食べた濃い目の赤みそ仕立ては絶品だった。現在、高知県の山間部の集落は猪の被害に泣いている。猪は猛獣である。過疎に耐え、残っている老人たちの目の前で平然と稲穂を食い荒らす。猪は嗅覚が鋭い。「猪にやられ、今年も筍が口に入らざった」という話はよく聞く。猪が跋扈するようになったのは、森林の荒廃、過疎、ハンターの高齢化と減少に原因があるだろう。高知県といえば、誰もが青い海を連想するようである。しかし、土佐は間違いなく山国である。森林率84%は全国一だ。ところが、残念ながらその2/3が人工林で、この数値は全国第2位の高率である。山が荒れていては健全な川と海は期待できない。中には地主が不明の植林地もある。とうに故郷を離れ、都会に出たためである。鳥や獣の気配がない人工林は淋しい。一方で、幸か不幸か、温暖化が着実に進行している。沿岸の動物を見るたびに確実にこれを感じる。しかし、針葉樹からなる高い人工林率は、広葉樹への大規模な転換と温暖化と併せれば、環境が劇的に好転する大きな可能性を秘めている。これはもちろん、数十年後の話である。高知県は有数の多雨地帯である。年間降水量が4000ミリを超える地域も珍しくない。植木枝盛の「自由は土佐の山間より出づ」に代表される土佐人の気概は、日本を急速に近代化へと導いた。土佐の自然再生は土佐の山間から考えねばならない。有り余る太陽光と雨が高知県のかけがえのない財産であり、自然再生の最大の武器である。自然再生のモデル県の実現は決して不可能ではない。 天気予報を見ながら末娘が驚いて言う、 「秋田はえいーっ! 明日は雪が降るがやと」 「また行くか?」 「行きたいけんど、何しゃべりゆうか分からんき」 これでいい。これでいい。お前は土佐生まれの土佐育ちだ。しかし、土佐の自然がこれからどうなるかは分からないが、きりたんぽ鍋の味はずっと忘れて欲しくない。 ●注(町田):土佐弁には現在進行形があります。「〜しゆう」は「〜しつつある」「〜している」を意味します。 |
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町田吉彦 Machida Yoshihiko http://www.kochi-u.ac.jp/w3museum/fishlab.html |
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