浦戸湾文庫 12
高知大学理学部自然環境科学科教授理学博士、
高知大学海洋生物教育研究センター教授兼任
町田吉彦 Machida Yoshihiko
1947年3月30日生まれ、秋田県出身
奈半利町加領郷で調査したときの写真。スルメイカは漁協で購入し、宿泊先で料理してもらった。これは鮮度抜群透き通った身の色の刺身
焼いただけ。これが土佐の辛口にあう
江戸前天ぷらなら、天ぷらといえばコウイカを使うが、四国であればタコもイカでも種類を問わず使い。ときにソースをつけて食べたりもする
土佐の 穴あき文化

 高速道路が延長され、四国の他県の文化に触れる時間が逆に短なった。四国4県の県民性はそれぞれ違うらしい。これにまつわる笑い話がある。道でお金を拾ったとしよう。ある県の人はこれをちゃっかり貯金する。ある県では、これを元手に商売繁盛を目論む。またある県では、その分だけお酒を楽しむ。しかし、土佐ではそんなちゃちなことはしない。財布からさらに同額のお金を追加し、ラッキーとばかりに2倍分のお酒を楽しむ。この笑い話を聞いた時、「さもありなん」と納得した。
「秋田生まれは呑めないはずがない」と、宴会でおんちゃんらぁによく言われる。「おまんの顔なら呑める」と断定されもする。えらい迷惑だ。異骨相(いごっそう)は、「こう」と言ったら絶対に曲げない。しらふでも、じわじわと立場が悪くなると、それに気がつくのだが、意地でも言い張る可愛さがある。でも、酒量は出生地や顔ではなく、遺伝子に左右される。今さら出生地や親を替える訳にいかないではないか。こんな、しっかりした科学的根拠でようたんぼ(酔っ払い)に反論すると、火に油を注ぎかねないが、最近は烏龍茶が普及したお陰で助かっている。なんせ、銘柄によっては色がビールと余り変わらない。「ビールです」でも、おんちゃんが酔眼で区別するのはどうやら難しいらしい。中国様々だ。
 学生時代には無縁だった料亭に、付き合いで時には顔を出さねばならない。最初から自爆覚悟だが、まあ、下戸は腰が抜ける。返杯、返杯、返杯の繰り返しだ。返さないと目の前から立ち去らない。敵の眼を欺いては抜け出し、水を飲んで冷気に当たらないと死んでしまう。刺身やタタキ、天麩羅を楽しむ時間もない。店はそれぞれ独特の素麺を出す。真鯛で出汁をとり、焼いた真鯛をドンと乗せた素麺が私の好みだ。魚の研究をしているとはいえ、マダイはやはり高い。これが出るまでは何がなんでも意地汚く粘らねば、下戸は元がとれない。
 しかし、出てくる盃は最初からコロリと転がったまま。それもそのはず、底が尖っている。座るはずがない。おまけに穴が開いてる盃もある。おんちゃんらぁは慌てて穴を指で塞ぎ、「あつつっ」と言いながらぐっと飲み干す。そうしないと料亭用の一張羅が酒浸しだ。次いで、瀬戸物の6面の独楽が出てくる。おかめ、ひょっとこ、天狗の絵がそれぞれ2面づつ描かれている。お盆の上でくるくる回すと、独楽は間もなくヨロヨロと力なく倒れる。倒れた心棒の先に居る人は、上面の絵に合わせた盃で飲まねばならない。飲み干さないと独楽を回す権利がない。回さないと次の飲み手が迷惑だ。おかめは一番小さい。これでも標準的な盃よりやや大きい。これは座るし、穴もない。ひょっとこになると、もう駄目。ぐっとサイズが大きくなり、しかも穴あきだ。天狗になると悲惨。天狗の鼻が下向きの器では立つはずがない。一合近くも入る。異様な盛り上がりの中で、とことん酒を楽しむ文化だ。こんな下に置けない盃を可盃(べくはい)と呼んでいる。しかも、しかもだ。宴会の終了宣言を「中締め」という。即、中間段階。まだまだ先があるという事だ。
 液体を入れる容器にわざわざ穴を開けたり、立たない盃をやりとりする文化は、世界中で土佐だけかもしれない。まっ、いいか。人それぞれに、精いっぱい楽しめばいいのだ。ふと、今日はなぜ休みかと考えたら「文化の日」だった。長引く不況で、老舗の料亭が次第に姿を消しつつある。花のお江戸の高級料亭にはない、庶民的な土佐の穴あき文化がやがて廃れるのかと思うと、下戸ながらなんとなく淋しい気がする。

町田吉彦 Machida Yoshihiko http://www.kochi-u.ac.jp/w3museum/fishlab.html



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