浦戸湾文庫 08
高知大学理学部自然環境科学科教授 理学博士、高知大学海洋生物教育研究センター教授兼任
町田吉彦 Machida Yoshihiko
1947年3月30日生 秋田県出身
今、浦戸湾で何が

 桂浜水族館を訪れる観光客は、県内・県外からを問わず、アカメの巨大さに感嘆し、古武士風のいかつい容貌に驚く。ここで飼育展示されているアカメはすべて浦戸湾の産である。全長2mにも達するこの魚は、典型的魚食魚であり、魚類以外の動物も餌とする。すなわち、アカメの生息は他の多様な動物の存在を意味する。初期生活史がいまだ十分に解明されていないこの謎の動物の成魚は、おもに徳島県から宮崎県にかけて生息しているが、高知県が分布の中心と考えられている。中でも、四万十川と仁淀川の河口域、そして浦戸湾が重要な生息地であることはこの魚に関心を寄せる人々の一致した見解であろう。
 一昨年、浦戸湾の干潟の動物を観察し、本年またその豊富な動物たちに出会ったことは浦戸湾文庫で述べた。私がなぜ浦戸湾の泥地の希少種に手を染めたかの理由は簡単である。横浜地区の長さ800mの区間が、幅100mにわたり土砂により埋めたてられる計画を知ったからに他ならない。計画によれば、浚渫によって発生する良質な砂を環境改善と親水性の確保等を目的とした養浜(覆砂)に活用する、とある。浚渫の場所は国分川である。浦戸湾流入河川の中で決してほめられた水質ではない。また、どう調べても動物に関する事前の環境アセスメントの予定がない。覆砂されると、そにいる動物は完全に埋没する。この工事に要する費用は1億4千万円である。これだけの事業でありながら、覆砂予定地の動物の生息状況を調査しないのは今の時代、まったくの手落ちと言わざるを得ない。行政や市民団体に依頼された訳ではない。なぜか私は義務を感じ、ほそぼそながら調査を試みた。
 この計画を立案し、積極的に行政に働きかけた団体からの依頼で、子供相手の干潟の動物観察会に参加した。一昨年のこのイベントで、高知県絶滅危惧種II類に指定されたマメコブシガニを団体のメンバーや子供たちと確認した。場所は衣ケ島周辺である。当時、ここには多数の市民が押し寄せ、アサリ堀りに興じていた。この状態は少なくとも今年の春までは続いていた。ところが、夏になると突如として潮干狩り客の姿が途絶えた。アサリが激減したのである。ここでは平成十年に大規模な覆砂が行われている。大量のアサリはこの覆砂に発生したのである。覆砂後にアサリが急増し、やがて突如として姿を消す奇妙な現象は熊本市の緑川の干潟で知られている。大量のアサリが存在した期間は浦戸湾が明らかに長い。緑川では消失したようだが、浦戸湾ではゼロではない。しかし、両地域での現象はよく一致する。緑川の例では、覆砂に最初に着定したアサリの稚貝はその後も順調に成長を続ける。しかし不思議なことに、その後に着定した稚貝の多くは1cmまで、まれに2cmまでしか成長できずに死滅する。この大きさのアサリを持ち帰る人はまず考えられない。すなわち、最初に着底したアサリが寿命を迎え、また、掘り尽くされた時点でアサリがその場から消えるようである。なぜこのような現象が起こるかはまだ闇の中である。浦戸湾で、もし覆砂でアサリを増やすのであれば、定期的に同じ場所に砂を撒くか、定期的に覆砂の表面を掘り起こすしかないだろう。両者とも愚行であるのは明白である。浦戸湾の人工干潟でのアサリによる水質浄化は幻に近い。さらに不都合なことが判明した。本年9月に観察したところ、衣ケ島周辺のごく近くまで砂が迫り、しかもその表面は硬くなっていた。アサリを掘る人はといえば、ウエットスーツに身を固め、首まで水に漬かっている数人でしかなかった。砂を撒いた後での砂の動向と、動物の生息状況はやはり追跡調査されていない。やりっ放しである。島のごく近くの、本来の泥がある場所と、流されてきた砂の中のアサリの数を比べると、前者での数が後者の10倍以上であった。前者の場所にはヤマトオサガニがまだ棲んでいた。この蟹は衣ケ島の表面から染み出す真水の先の泥地に生息している。この蟹の行動には大人も子供も魅せられた。しかし、砂が押し寄せれば、彼らの生息地は確実に奪われる。
 漁師に聞くと、覆砂の前は地元でいう沼アサリが棲んでいた。色は悪いが、分厚い、見事なアサリである。このぼうずコンニャクのサイト(彼はダルマアサリと称している)と私どもの研究室のホームページをぜひ参照していただきたい。しかし、覆砂の上のアサリは、どこにでもいるごく普通のアサリであった。アサリは環境条件により形も色も大きく異なる。もちろん、砂が届いていない場所には沼アサリが棲んでいる。また、ハモとエガニ(ノコギリガザミ3種の高知での総称)が覆砂の周辺でまったく捕れなくなった。すなわち、これらの水産上の重要種の生息地が確実に狭められたのである。覆砂は潮間帯だけでなく、潮下帯の動物の生息地さえ着々と奪いつつある。
 埋め立て予定地の干潟では、マメコブシガニの他、ヒモハゼ(絶滅危惧IB類)とムツハアリアケガニ(IA類)の生息を確認した。これらの生息地がすべて埋没するのである。これらの動物の存在については、私どもの研究室のホームページですでに公開しており、10月1日付けの高知新聞で公表した。新聞では報告しなかったが、トリウミアカイソモドキ(酒井の2003 年の論文ではトリウミアカイソガニ)が1個体採集された。本種は、1974年に宮城県女川湾産の標本を基に新種として記載された。その後、函館、愛媛県の瀬戸内側、徳島市の吉野川河口域、香港で確認されているのみである。すなわち、関東以南の黒潮流域ではいまだ未記録である。地域のレッドデータブックは地域の学術の結晶である。高知県のレッドデータブックの編集には私もタッチしたが、この完成は先達の長年にわたる地道な研究があったからにほかならない。市民団体と行政がこれら貴重種と学問の成果を葬り去るのは、到底許される所業ではない。浦戸湾の干潟はいちじるしく少ない。前記の衣ケ島の周辺は、干潟が干出するまれな場所である。しかし、わずか2年でこの地域の干潟は砂で覆われ、もはや私が横浜で確認した泥地を好む貴重な動物が棲める環境ではない。
 アサリの大量出現に、私も判断を誤った。この大量のアサリの激減は、私だけでなく、衣ケ島で潮干狩りをした多くの市民と、工事関係者の誰もが予想することができなかった。自然では何が起こるか分からない。したがって、新たな事実が判明した時点で、覆砂の可否を再考することに躊躇してはならない。環境に配慮しない公共事業の推進が責められる時代である。これは当然である。昭和40年代前半の、極度に汚染された浦戸湾の水は、行政と住民の努力により、ゆっくりと、しかし着実に改善されつつある。ここまでに40年弱の時間を必要とした。しかし、覆砂はこれまでの努力をごく短期間で無にするだけでなく、潮下帯の動物にも多大の影響を与えている。浦戸湾の漁師にとって死活問題である。希少種の存在はもちろんであるが、私はアカメ、エガニ、沼アサリが浦戸湾を代表する動物と考える。泥は汚い存在ではない。砂や泥の区別は、粒子のサイズにおける区別でしかない。50年後、100年後に、昔は浦戸湾にエガニが居たんだねえ、となっては欲しくない。新たな覆砂は、この仮想の話を現実のものにするだろう。今に生きる高知市民の未来への責任は、とてつもなく大きい。
横浜地区の長さ800mの区間が、幅100mにわたり土砂により埋めたてられる計画。この地区は浦戸湾でも希少な生物が多数棲息する
覆砂に使われる砂をは国分川河口での浚渫したもの。この覆砂計画はこの浚渫した砂の捨て場所の確保のためではないか(ぼうずコンニャク記)

町田吉彦 Machida Yoshihiko http://www.kochi-u.ac.jp/w3museum/fishlab.html

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