2005年4月7〜8日
大坂の旅 06
泉佐野港
目次
市場魚貝類図鑑

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泉佐野港の漁は家族総出で行われている。ときに女性も船に乗船、待ちかまえるのもお母さんやおばあちゃん、おじいちゃん
着岸したら後は間髪入れずに競り場まで運び込む。値のいい活けのヒラメやわたり(ガザミ)がおおいといいのだが
上はうまそうなガザミ、そういえばこれからはシャコもうまいんだな。下はがっちょ(イトヒキヌメリ)
競り場などへの運搬はリアカーが大活躍
競り場では屋号の書かれた箱に入れ替えて、競りの台まで運ぶ
泉佐野で行われているのがいわゆる箱競りというもの。箱が左右に流れていく間に競られていく
05/04.08 泉佐野港

 和歌山市で宿泊。翌日は曇りではあるが、その雲は薄く、晴れの気配がある。深夜の暴走族の騒音に悩まされたものの、疲れていたせいかたっぷり睡眠がとれた、快調である。8時前に娘を起こして朝食にコンビニ弁当を食べる。これはこのホテルの朝食が和食であったので娘が「微妙」なためである。9時前にチェックアウト。市バスに乗って公園前で下りる。正面は和歌山城でここで時間つぶし。娘に紀州徳川家の話をするがこれも「微妙」だという。
 ここから、和歌山の案内人高瀬由希子(以後ゆきちゃん)さんと友人の富沢ゆかり(以後ゆかりちゃん)さんの案内で、まず雑賀崎に向かう。雑賀崎は戦国時代に名をはせた鉄砲の雑賀衆で有名な地である。和歌山市内ではあるが和歌浦近くの風光明媚なところ。また底引きのある港でもある。ここで「はまかぜ通信」の寺井さんにお会いする。寺井ご夫婦の奥さんが、この管理釣り場で受け付けをしている。寺井さんは小柄なかわいらしい女性。漁でとれた魚などを通販してもいて、この魚が新鮮でいいのだ。ここで雑賀崎のこと、また昨年から今年にかけての漁のことをおうかがいして、お寿司のお土産を頂いて失礼する。
 寺井さんにいただいたのは、鯖寿司と、雑賀崎ならではの「とんとんずし」。この鯖寿司がうまいのはお国柄であるとしても、「とんとんずし」の味のよさにも驚いた。エソをとんとんと細かく刻んでしょうゆなどで炊いてすし飯にのせたのが「とんとんずし」なのだが、これを名物にするのも面白いのでは。

 泉佐野に向かう前に市内でラーメンを食べる。有名な和歌山ラーメンである。実を言うとラーメン自体よりも、それについてくる鯖寿司の方に興味があった。あせという植物がプラスティックのフィルムになっているが味は上品で軽い。なかなかラーメンやうどんに合いそうだ。ここを出て泉佐野に向かっているとき、ゆきちゃんに緊急のケータイ。魚市場の仲買に努めるゆきちゃんの店の注文書がファックスされていないのだ。大急ぎでUターン。店の近くのスーパーで待つ間にその店内を見て回る。あまり珍しいものはなかったが、うどんの汁がうまそうだ。とこれを購入。クルマの中では、ゆかりちゃんと娘がなにやら秘密のお話をしていたのではないか、我が家の秘密が漏れないか、ちょっと恥ずかしいので不安を感じる。

 大阪から和歌山の北辺にかけての大阪湾は大きな弧を描いている。その中央にあるのが大阪湾最大の漁港泉佐野港である。今では漁業の街というイメージは薄れ関空のある街として有名となっている。
 和歌山から泉佐野に入ると味気ない高層ビルがあり、まったく新しい街である「りんくうタウン」を右に見る。ここを抜けると泉佐野港である。港には青空市場という小売り市場が隣接してとれたての魚貝類がすぐに買えるのだ。港への到着は1時半過ぎ。まだ底引き網の船は帰ってきていない。それを待つ間、青空市場に入ってみる。
 じゃこえび(アカエビ)、イカナゴ、「つめた」というのがあって、どうもヒメツメタである。「がっちょ」はイトヒキヌメリ、ぎんた(オキヒイラギ)、赤した(イヌノシタ)などが並んでいる。まだ漁の船が帰り着いていないのだから昨日の魚。これを声を張り上げて売るおばさんがちょっと恐い。地元の魚の他に塩鮭やカナダぼたん(スポッテッドプラウン)などの輸入ものも並んでいる。歩いて奥に進むと売れ残りを片づけたいのかますます売り手の声が高まる。この辺が大阪とも言えそう。
 港に出て港の入り口を見ているとぽつりぽつりと船が帰ってくる。水揚げを見に走って行くと肥満のために息が上がる。船からリアカーのバケツに上げられたのは1メートル近いアカエイ、イヌノシタ、スズキ、マコガレイに、わたりがに(ガザミ)。この総てがまだ生きている。入船を見ていて思ったのは、家族総出で水揚げしていることである。またときに船にも女性が乗り込んでさえいる。泉佐野の女性はときに力強く、ときに献身的で魅力的に見える。「いい女は泉佐野で見つけろ」かも知れない。
 そんな光景を見ていると地元のスミヨシさんからケータイが入る。岸壁の反対側の青空市場前に小柄な女性が手を振っている。スミヨシさんとはメールをやりとりしていただけで本日が初対面。沖から船が入るのをスミヨシさんと、その姑さんが船を待つ。スミヨシさんはご主人と我がサイトを見てくれていて、いただくメールの文面もおふたりで考えているのだという。お二人からいただく情報は非常に貴重なもの。お姑さんも見るからに優しそう。お年はいくつなのだろう、動きが俊敏で歩く速度が速い。肥満緩慢な私にはときについていけないほどである。
 お姑さんにはいろいろ教わった。船を指さして「まんがん」という爪のついた器具がついたのが底を引く船、もっと中層を引くのもあって、これはスズキなどをとっている。他には海老専門に引いている船もあるそうだ。
 スミヨシさんが港に入ってきた船を指さして「家の船じゃな」というのを待つまでもなく着岸。大きな身体に穏和な眼差しを持った夫スミヨシさんが水揚げのために活けのバケツを舳先に集めている。このスミヨシさん夫婦、なんだかいい感じである。この「いい感じ」というのを敢えて説明すると、夫婦でさりげない日常として漁の仕事をしているのだけれど、その二人のひとつひとつの間合いというか、獲物を受け渡すときの呼吸の合い具合が見ていて心地よいのだ。我が家も夫婦げんかや娘をどつくのを「ちょっと控えないかんな」なんて思った。
 水揚げはアカエイ、大ヒラメ、赤した(イヌノシタ)、がっちょ(イトヒキヌメリ)、もきち(イシガニ)、わたり(ガザミ)、シャコ、マナマコ、少ないがトリガイにアカガイ。泉佐野の魚は水揚げ時点では総て生きている。これを見て和歌山のゆきちゃんが渋がれた声で「鮮度ええな」と言っていたが、まったくその通りである。
 船からリヤカーに乗せられたものは大急ぎで競り場に運ばれる。競り場に入りスミヨシの屋号が書かれた青い箱に水揚げされたものを並べる。その素早いこと。先に入船した家のものから、どんどん競りが終わっていて、間もなくスミヨシさんの番なのだ。この競りが終わって、事務所で計算してもらって漁師さんに仕事は終了する。早朝5時45分に船を出して午後3時近くまで、とうぜん出船の支度のことも考えると大変な職業だ。それを家族総出で協力し合うのが泉佐野港での見事な光景である。競り終わるのを待ち、「そろそろおじゃまします」というと、スミヨシさんご夫婦とお姑さんにはお土産にたっぷりの魚をいただく。すでに青した(アカシタビラメ)の干物をもらっている。その上、がっちょ(イトヒキヌメリ)、しらさ(ヨシエビ)、とびあら(サルエビ)をいただく。
 ゆきちゃんとゆかりちゃんは時間がなくて帰ってしまっている。まったく忙しいなかいろいろお世話になったのに、しっかりお礼もしなかった。
 帰りは地道に歩いて駅に向かう。少し歩きだすともう一度スミヨシさんからケータイがあり「待っといてくださね」という、競り場近くで手を振るのに近づいて行くと、「これも持ってかえってください」とアカタチ、シログチ、ガンゾウビラメなども頂く。これもいただいた青い携帯クーラーはこの時点で5キロくらいはありそうであるが、うれしい重さだ。

 最後に大阪湾での魚貝類取り扱いのことを。前にも書いたが築地や関東の市場では地物といえそうな羽田、横浜、千葉などの魚が高価で遠い存在なのである。それが大阪中央卸売市場、鶴橋の市場で見た限りにおいても、大阪湾の魚貝類というのはたっぷりあって、しかも新鮮、安くて親しみやすいものなのだ。それを支えているのが若い漁師さん、そして家族の存在であるのは泉佐野の生き生きとした水揚げ風景を見て思い知った気がする。また、大阪湾から和歌山市までを見る限り、湾内というか浅い海を抱えていて、小魚の漁獲が多いというのも特徴であろう。見事なヒラメやマコガレイもあがるが、はぜ(アカハゼ)、がっちょ(イトヒキヌメリ)、イシガニや、じゃこえび(アカエビ)、ミヤコボラなど関東では雑魚として低い評価しか得られそうもない魚たちが、しっかり食べれれているのも見事だろう。これを見てから大阪の複雑で多様な料理の発達は大阪湾という前海の魚から培われたものであるのを確信してしまった。泉佐野には1年に何度これるだろうか? でもときどきスミヨシさんたちの水揚げの様子を見に来たいとカレンダーとにらめっこしている。



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