アカガイ 掲載種番号08

 東京の寿司屋になくてはならぬもの、それはマグロとアカガイだろう。でもこのアカガイが江戸前寿司に使われ始めたのはいつ頃のことだろう。また伝統的な江戸時代からの握りのネタであったのだろうか。寿司職人が最高とあげるのが宮城県名取市閖上にあがるもの。でも「アカガイが閖上が最高」だなんてこれまたいつの頃から言い始めたことだろう。
 この辺にも大いなる疑問を感じるのだ。実を言うと昭和40年代くらいまではアカガイは安いネタであったという。
「それこそ昔は、こんなカンカン(1斗缶)にいっぱい入ってきたもんだ」
 70歳を超える八王子横川町の『鮨忠』さんが言う。今年(2007年)50代前半の『市場寿司 たか』もそんな記憶が鮮明にあるそうだ。
「だから並(並ずし)にだって使えたもんよ」
 どこから来ていたのかというと「東京湾でしょ」とのこと。だいたい1975年に出た『すし技術教科書 江戸前ずし編』には「赤貝はもともと東京湾のものを本場もんと言っていたが」という記述がある。
 アカガイのことを「玉」とか「本玉」とか言う。それに対して「場違玉(ばちたま)」と言うのがあり、サトウガイのことなのだ。どうしてサトウガイを「場違い」とするのかというと湾内ではとれないからである。すなわち東京湾・内湾性のアカガイに対して外洋の九十九里などから来るサトウガイを差別する言葉だったのだ。また八王子、山梨ではこれまた近縁で小振りなサルボウを「小赤」と呼び、当然アカガイと区別した。
 そのサトウガイを差別する理由というのが赤身が弱いことと、「旅をしてきたこと」言い換えると鮮度が悪いからのふたつ。だからその昔アカガイの本場、またどうしても「玉」は東京湾でなければならなかったわけだ。
 だから間違いなく閖上のアカガイが有名になり、値が上がったのがそんなに昔のことではない。またそれ以前に東京湾のアカガイが減少して高級化していった歴史もあるはずなのだ。

 我が家の文献を見る限り、江戸前の握りが一かんずつ握るようになってからアカガイがネタとして登場してきたのではないか? と思われる。それは文化文政の頃、握り寿司の誕生の頃かも知れないが、江戸前の握り寿が江戸全体に驚くほど早く行き渡るのは本来屋台店、握り置きするということから気軽に庶民も食べられたもの。そうすると握り置きして水分の出る生のアカガイは絶対に寿司ネタとはなり得ない。なぜならアカガイは火を通すと味わいが落ちるからである。よく見て行くに江戸末期の『守貞漫稿』に見る限り握りに赤貝はなく、そのネタは間違いなく一手間かけたものでまったくの生はないのである。とすると岡山のサルボウのように煮たり、茹でたりしていたのかもしれないが、アカガイが目立った存在ではなかったはずだ。

 それが明治初期には断然、アカガイが表に出てくる。それは明らかに生であり、造りも今と同じなのだ。すなわち明治期には握り寿司は作り置きするものもあったが、主流は注文を受けてから握るようになったため。海水から出しても貝殻のまま活けておけるアカガイは注文に応じて向く限りまったくの生でも大丈夫なのだ。
 さて時代的な考証はまだまだ深くなっていくが、ここで東京湾のアカガイの現状を。さて東京湾では今でもアカガイがとれる。ただし非常に少ないのだ。例えば千葉県船橋市の三番瀬は東京湾奥とも言える。ここでも少ないながらアカガイが棲息する。また木更津、富津にもそこそこに漁獲するほど生きているのだ。その特徴は貝殻の薄さである。今閖上のアカガイの特徴は貝殻の薄さ、また身の赤さが深いということだ。それに負けず劣らず江戸前のアカガイは明らかに赤身は深く味も濃いもので握りにしても絶品なのである。でもいかんせん、漁獲量が少ない。これをなんとか復元できないものか? せめて木更津、船橋まで。
■この項書き改めていく
■市場魚貝類図鑑・アカガイのページに
東京のさかな目次へ
↑これは今では正真正銘の江戸前、富津産のアカガイ。特徴は貝殻が薄くてもろいこと。たぶん大きなものがとれれば値が上がること必至

東京での呼び名/「玉(たま)」もしくは「本玉(ほんだま)」
全国/青森県、宮城県、千葉県、愛知県、大阪府、香川など全国から入荷してくる。ただしいちばん多いのは中国産、ついで韓国、ロシア
旬/冬の寒い時期から、春。初夏に子を持ち始めるとまずくなる
多い/輸入、国産を含めて入荷量、頻度共に多い。市場にないと騒ぎになる
高い/だいたい1500円くらいから3000円前後。国産が高く、韓国、中国、ロシアと安くなる。また冬に高くなり、夏に下がる
プロ向き/明らかに料理屋、寿司屋のもの
アカガイの選び方
1/まず重さ
2/2個打ち合わせてゴゴと鈍い音がすればよし、コンコンと高い音が出たらダメ



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